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ミュンヘンのericoのレビュー・感想・評価

ミュンヘン(2005年製作の映画)
3.3
1972年のミュンヘン五輪のさなかに、イスラエル選手11名がパレスチナ過激派組織に捉えられ、全員が殺害されるという悲劇が起きる。主人公アヴナーは、イスラエル政府が極秘裏に計画した、報復のための暗殺計画のリーダーに抜擢される。

ミュンヘンから、ローマ、パリ、アテネと、舞台は各国へと移り変わるが、2005年にこの映画が撮られた意図のひとつが明らかになるのは、アヴナーがニューヨークを訪れた時だ。その頃には、暗殺計画は混沌を極め、対象がミュンヘン事件の首謀者に留まらなくなっている。象徴は、首謀者の後任者の殺害だろう。アヴナー達は、報復という行為の際限のなさに虚無感を覚え、また自らの命が危機に晒されることに怯え続けている。そんな彼が、イスラエル側の幹部と接触するのが、ニューヨークという地だ。彼らの背後には、スピルバーグが仕掛けた螺旋である、かのツインタワーがそびえる。

家族から離れて暮らすアヴナーは、たびたびダイニングのショールームをガラス越しに覗く。"home"という語に、家族への思いと、祖国への希みが託されるが、情報屋のルイが言うように「家は高くつく」のだろう。ユダヤ系であるスピルバーグが、この映画に懸けたであろう思いの深さは、随所で見て取れる。

イスラエルにもパレスチナにも加担せず、報復行為の虚しさを訴える姿勢に共感は持つけれど、映画として見るとアヴナーの人格も苦悩も最大公約数として表面的なものに過ぎない。暗殺者たちのテキトーなお気楽さは、まあその後の彼らの悲劇との対比ではあるからいいとして…幕切れもなんとなく歯切れが悪い。とは言え、最大公約数を導き出せるのも一つの才能ではある。

今日のマチュー:情報屋のルイ君。どこの政府ともつるまないことを条件に、アヴナーたちにも情報を提供するが、何が狙いなのかは謎のまま。彼の組織のドンである「パパ」には何やら愛憎入り交じっている様子。(アヴナーもそうだけど、エディプス・コンプレックスな映画だね)主役も食う演技で、チョイ役ながら大変目立っていたように見えます。贔屓目かな…笑 パパがアヴナーに「お前が息子なら良かった」という時の目のギラつきとそれを伏せることで生まれる凄みは、やっぱりマチューじゃないと出来ないよね!
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