レインウォッチャー

ベルイマン監督の 恥のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ベルイマン監督の 恥(1966年製作の映画)
3.5
Q. ベルイマンが戦争モノを作るとどうなる?
A. 夫婦地獄映画になる。

風光明媚な島で暮らす夫婦が…って、あれおや?デジャヴ?

そう、『狼の時刻』に続くベルイマンの「島映画」、主演二人は同じだし、舞台設定もテーマもごく近い。今作の夫ヤーン(M・V・シドー)は演奏家、つまりやはり芸術家で、戦争によって本職を追われた暮らしに鬱々と闇を溜め込んでいる。キャラとしても似ているといえるだろう。

一方、前作とのギャップを生みだすのは妻エーヴァ(L・ウルマン)の佇まい。
同じく演奏家でありながら夫より現実的な妻、『狼〜』では夫に寄り添うことで逆に引き込まれてしまうという役柄だったのが、今作は夫を愛しながらも、限界状況でサバイブしていくため時には突き放す。

やがて戦火が激しくなり翻弄される中、気弱で優柔不断だった筈の夫の醜く獣じみた一面が顕になっていく。エーヴァはそれを外から眺めドン引きしつつ、他に寄る方なく離れることもできない…
いわば今回は距離を置くこと、逆のベクトルによって正気・狂気の地続きの変容と、他者理解の壁を炙り出そうとしているようだ。

ベルイマン作品にしてはかなりストレートな表現や言葉で、戦争に対するアンチテーゼを打ち出してもいる。しかしそれをグルーヴさせるための発火材が夫婦関係と芸術家の悩みであるところが「らしい」ところだし、映画的な冒険と快楽も忘れずに追求し続けている。

たとえば、前作に続く新たな「地獄食卓」シーン。序盤の夫婦二人の語らいや、中盤の市長を交えた歓談など。今作はいずれも固定カメラの長回しを用い、沈殿するストレスがじっくり腐敗していく様から逃がしてくれない。
また、戦火に見舞われた島や海の風景は、廃墟と骸が並ぶ陰惨さをこれでもかと表しながら、黄泉じみた凄みと美を備えており、踊り狂う炎には戦慄しながらも見惚れてしまう。

そうそう、今作は徹頭徹尾「音」の映画でもある。
冒頭のクレジットに被る銃声、開幕はけたたましい目覚まし時計のベルから既に予告されており、距離感に震えあがる爆音や過ぎ去ったあとの静けさ、海を進むボートが立てる木の鳴り…暴力的に時には繊細に、耳を脅かし続ける。

そして何より、時折うっすらと聴こえてくる教会の鐘。
死の影が忍び寄る街でそれはまったく空虚に響き、ベルイマンが過去の諸作で何度も言ってきた「神の不在」を匂わせるものだ。

戦争を撮っても何を撮っても、やっぱりベルイマン。映画の悪魔のような創造性に、なんとも腹持ちが良い。