Fitzcarraldo

みな殺しの霊歌のFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

みな殺しの霊歌(1968年製作の映画)
1.0
山本周五郎著の『五瓣の椿』を原作にした野村芳太郎監督による同名映画のヒットに気をよくした松竹から、『五瓣の椿』の現代版をやってくれと依頼を受けスタートされた企画であると監督の加藤泰は水野晴郎のインタビューに答えている。

『五瓣の椿』の原作も映画も未見だが、復讐する側と復讐される側の性別が原作と本作では逆転させてあるらしい。監督の意向なのか松竹の意向なのか…なぜ性別を入れ替えたのかは定かではないが、加藤泰監督自身も「ひとつ間違えば大変な映画になってしまう危険なもの」という自覚のもとに本作の製作に着手。

構成というポストに山田洋次を置いたのも自分とは全く異質なモノを持っている山田洋次だからこそ、躊躇なくブレーキを踏むストッパーの役割ではなくて、ひょっとしたら膨らましてくれるブレーキをかけてくれるんじゃないかという期待があったという。

多数の作品を残す加藤泰監督であるが本作が私自身の加藤泰作品の筆下ろしとなる。
先ず、
“Kato Hata”だと読んでいたくらいに無知な自分が粗末で恥ずかしい…
“Kato Tai”と読むらしい。知ったかぶりして、これ見よがしに大声で語り出したらソッコー名前でツッコまれるので気をつけるべし。

この加藤泰監督、母方の叔父になななんと山中貞雄がいるということにまた驚く。そして一度、京都の貿易会社に就職するも映画への情熱が冷めず山中貞雄を頼って上京して東宝に入社。いつの時代も使えるコネは遠慮せずに使うべきなんだなとゴマスリ嫌いな自分も大いに勉強させていただく。叔父に山中貞雄って…そりゃ誰しも使うわな。

戦後、大映京都撮影所の助監督部に入社して伊藤大輔監督につき、そして黒澤明監督「羅生門」の予告編を手掛ける。これも全く知らなかった…映画的文脈は知れば知るほどまた面白い。

さて物語の話を…
1968年のモノクロ作品。
いきなり不穏な空気から女がひとり縛られ殴られレイプされている。そこに麻雀をする五人の女達がオーバーラップで重なる。冒頭で主要キャスト五人を一気に紹介する荒業を見せるも、果してウマイんだかなんだか要領を得ない。

そしてナイフでメッタ刺しにする佐藤充演じる川島という犯人が超クローズアップで映る。ゴツゴツして男臭い顔で、いかにも犯人風情で面白味がないというか、この男に全く興味が涌かない。光と影の画作りの部分は非常にカッコイイのだが、それだけに終わってしまっているというか物語として昇華されてない、セリフも控えめだし画で語っていることは語っているのだが何か掴むモノ、見ている側を引き込むモノがないように感じる。画だけなら写真で充分だし、映画ならではのモノを見たい。ハッキリ言って非常に退屈な作品…。

タイトルが出るとこだけはクソカッコイイので…洗面所に超クローズアップで画面の半分以上は闇。蛇口から勢いよく出る水、そこに少しだけ当たる照明。水の中に手を突っ込む犯人(メッタ刺しの際に自分の手を切ってしまったショットあり)、水の中のショットにカットが切り替わり、光っている水の中に傷ついた手が入ってくると、血によって水があっという間に黒くなると…画面が真っ黒になり白い字でドーッンと大きく「みな殺しの霊歌」
ふーここが本作のハイライト。

あとはウォーリーを探せ宜しく寅さんメンバーを探しに走ってしまうほど退屈…深作欣二の妻の中原早苗も出てる。

寅さんの妹で国民の妹キャラを演じた倍賞千恵子が岩みたいな殺人鬼に惚れる理由が全く分からないし(ただ豚カツ食べに来た客)、少年がオバサン連中にレイプされて自殺したからって復讐する野獣も全く分からない。この少年と野獣川島がゲイで出来てるという説なら…いや無理無理。オバサン連中を犯して殺してるんだから、川島もゲイであるならば、このオバサンらとの姦通には堪えられないだろうし、倍賞千恵子との恋模様はどう説明するのだ⁉という最後の最後までよく分からなかったし退屈なので、写真の勉強したい人以外にはオススメできません。
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