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マーサ、あるいはマーシー・メイのtetsuのレビュー・感想・評価

4.0
宗教について描かれた映画を兄と観ると学ぶことが多々あるので、今回も兄と鑑賞!!

2年間、失踪をしていたマーサ。
彼女はある日、家族の元へ帰ってくる。
しかし、変わり果てたマーサの様子に家族は異変を感じ始めるのであった...。

「アベンジャーズ2」からスカーレット・ウィッチを演じているエリザベス・オルセンさん主演、カルト団体の共同生活から逃げ出した主人公の精神的苦悩を描く。

前半はエロティックな描写が多く(いや、もはや、ほとんど。笑笑)、作品選びを間違えたかな~、と思ったが、終盤に駆けて畳み掛けるように意味深なシーンが登場し、それが前半にも影響してくるので見終わった後には、色々と考えさせられる作品だったと思った。

まず、この作品で描かれるカルト団体が恐ろしい...。
女性軽視も甚だしく、その様子は「それでも夜は明ける」で描かれていた黒人の女性に対する差別とほぼ変わらない。
女性を欲望の道具にする彼らの考えには、ひどい嫌悪感を感じた。

そして、さらに恐ろしいのが主人公が団体に引き込まれていく過程である。
形而上学*を持ち出され、明確な答えが出せず、どツボにはまる主人公には、日本人の多くが他人事には出来ない何かを感じるのではないだろうか?

*神がいるかorいないのか、という問いのように、どちらが正しいのか簡単に証明することができない考え。

僕自身、カルト団体やカルト宗教に対し、今まで自分の考えなどはなく、ただ何となくメディアや世間の情報から怖いものだと思ったり、自分とは程遠いものだと考えていた。
しかし、この映画を観て、実際はもっと身近なものではないかと思った。

カルト団体やカルト宗教は自分の中にある既成の価値観を変えてしまうものだが、自分の考えている世界の常識を変える体験はどこにでもある。

例えば、学校がそうだ。
皆に同じ制服を着せ、決まった集会や、ルールに従わせる。
しかし、社会はそれを黙認している。

怖いのは、このように、その境界線は"流動する社会"が決める曖昧なものであるということだ。

これを理解しなければ、誰だって突然カルト団体やカルト宗教に取り込まれてしまう可能性はあるわけだし、間違いに気づいた時には、もう戻れないかもしれない。

この先はネタバレになる可能性があります。これから観る!という方は飛ばした方がいいと思いますが、鑑賞済みの方、まだ観ようと思っていない方は是非読んでください。笑笑






*****ネタバレ気味な個人的解釈*****





・視線
社会学部の自分としては、
作中の"見る、見られる"という視線を強調した演出が気になった。
ポスターやDVDジャケットにもなっているマーサがこっちをみる印象的なカット。
そしてラストも、主人公が常に誰かに見られているのでは、という恐怖を感じるシーンで締めくくられ、彼女は、永遠にカルト団体の目を気にして生きなければならない"まなざしの地獄"に陥ったことを暗示していたと思う。

・母と子
身をおかせてくれる姉がまるで母親かのような演出がなされている点も気になった。(実際、僕も最初は彼女のことを母親だとおもっていた。笑笑)
主人公が裸で泳いだり、お漏らしをしたり、子供らしさを強調する一方で、姉としてはやや関与がすぎるような行動が多く、実際、マーサが気を失い、目を覚ますシーンでも彼女は姉をママと呼んでいる。
姉が本当に一児のママとなったとき、マーサが言った言葉は、自分の母(のような姉)が子供にとられてしまうという嫉妬だったのではないかとも思った。

また、子供のようなマーサは、最後に彼女が泳ぐシーンで胎児のようにも見えてくることから、カルト団体の生活によって、判断力が著しく低下し、最終的には胎児にまで精神が退化してしまったようにも感じられた。

・タイトルの意味
この作品、原題は「MARTHA MARCY MAY MARLENE」と3つの名前を表している。
どれもが"MA"で始まる名前であるものの作中で明らかになる通り、それぞれの名前には役割がある。

マーサ→自分
マーシー・メイ→宗教団体の中の自分
マリーン→カルト団体の中の女性を指す匿名の名前。

このように、並べてみてみると、主人公のアイデンティティーがどんどん消されてしまうことを、タイトルは表していたんだな~、と思った。




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というわけで、新しい価値を発見でき、大学生としてもとても勉強になる衝撃的な一作でしたので、元気がある時に観てください!!

長文お読みいただきありがとうございました!
m(_ _)m
tetsu

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