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ザ・マスターのtetsuのレビュー・感想・評価

ザ・マスター(2012年製作の映画)
4.5
無宗教ではあるが、宗教について興味のある兄と鑑賞!

第二次世界大戦が終わりを迎え、祖国へ帰ってきた主人公・フレディ。
彼はある日、新興宗教の教祖・ドッドと出会う。
長い年月を経て、彼らはお互いを信頼し合う仲になるのだが...。

第85回アカデミー賞において、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞にノミネートされた作品。

すごい熱量と緊迫感に圧倒される映画だった...。

物語の始まり、最初の数十分は自由で反抗的な主人公の姿を追いかけるように進んでいく...。
彼が好きであれ嫌いであれ、新興宗教という題材に対して懐疑心をもった多くの観客にとって、彼のキャラクターは感情移入するのにうってつけの人材であろう。

しかし、彼が教祖である男と出会い始めてから、そこしれない緊迫感が画面を支配する。
それは、カリスマである彼が語る特有の言葉運びであれば、多様される長回しでもあり、あまりにも整いすぎた左右対称の画作りにさえ、逆に違和感を感じ始める。

この先、物語は彼と教祖の関係性を濃密に描いていくわけだが、その後の展開は、予想していたものとは案外違っていた。

あまり言いすぎるとネタバレになりそうなので、ここらで避けることにするが、とりあえず確かなのは、宗教が主人公の世界の見方、世界観を変える程大きな力を持っていたということ。
劇中でも映像において、それが特徴的に表される場面(ヒントは"目")があるのだが、ある種、彼の体験を観客である私達自身が追体験するような見事な演出には、言葉を失った。

ところで、この作品を一緒に観ていた兄は、知り合いのキリスト教の神父さんが言っていた話を思い出したようだ。

その神父さんは、数年前、孤児院に入れられていた少年を引き取った。
親に見捨てられ、最初は盗みを働くことがよくあった彼だったが、長い年月の間、神父さんが一緒に居たことで素行が悪かった彼も、少しずつ人に対して礼儀正しくなったという。
しかし、神父さんの信じていた彼は、ここ最近、また盗みを働いた。
それを聞いた神父さんはとても落ち込んだそうだ...。
今までやってきたことは何だったのか、と。

この話を聞いて、僕は人間が変わることの難しさを感じさせられた。
また、その一方で、それが良かれ悪かれ、そこにある種の人間らしさがあるのかもしれない...。

その人自身が心から感じていることや正しいと思うことを持ち続けている限り人は変われないし、誰かに"支配"されたとしても、本人がそれを良しとしないのなら、"そこからの決別"は容易いことなのだと。

私達・日本人は、オウム真理教などによる事件などで"宗教=何となく恐ろしい"というイメージがあり、宗教という概念や価値観に対しておおよそ無意識なのかもしれない。
しかし、大切なことは 宗教というものに対して目をつぶることではなく、もっと深く理解し、その上で良し悪しを判断することではないのか?

そんなことを考えさせられる深みのある映画だった。
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