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さよなら渓谷のchi6cuのレビュー・感想・評価

さよなら渓谷(2013年製作の映画)
4.5
犯罪被害者と加害者が夫婦として生活をしている、というストーリー。
犯罪は、レイプ。事件は15年前。
原作は未読ですが、内容は確認して心していたので、泣くことも、目を背けることもせずに観ました。
覚悟していても、ひたすらに辛く、苦しい作品。

劇中、レイプシーンはほんの数秒しか出ませんが、この犯罪により「死んだほうがマシ」な生き方を強制された一人の女と、その女への贖罪でのみ生きながらえる一人の男の、本当に神経をすり減らすような時間を映画という形で共有したことに、鑑賞後、重篤な傷を負ったと自覚したのです。
ストーリーの軸は、この二人の関係は憎しみなのか、愛なのか、ということなのです。

私は依然、犯罪被害者の遺族である女性が加害男性と刑務所で長年面談を重ね、最終的に結婚に至る手記を読んだことがあったため、この感情には、共感はしませんが理解はできました。
死んだほうがマシなくらい辛い現実の中、それでも死を選択できないという生き地獄の中で、自分を地獄に陥れた男を一生恨む事が相手への苦難をなるならば、そのために生きよう、という女と、女が望むことに従い続ける事でしか罪を償えない男の生活と感情の流れは、この映画で丹念に描かれています。
劇中、頻繁にセックスシーンがありますが、そのどれもがぎこちなく、全く快楽とは無縁の苦行のような痛々しさがありました。
男はそのたびに女の感情の変化を期待し、女はそのたびに埋められない溝に絶望しているようでした。
それでも、ともに食事をし、時を重ねた二人には、温かい感情があるのです。

レイプという犯罪は、やはり女としては最も忌むべき犯罪で、彼らを取材する女性記者が「私が殺してやりたいくらいです」というように、どうしても許しがたい。
夫婦関係を営む彼らに、記者は「幸せなんですか」と問い、女は「私たちは幸せになりたくて一緒にいるのではないのです」と答える。
人間関係において、すべての関わりが「幸せ」に向かって選択されているという考えは、地獄を見たことのない幸福な人間の考え方なのかもしれない、と思いました。
幸せにならないことで救われる、誰かを苦しめることで生きながらえるという、悲しい人生も存在し、それを犯罪は生み出してしまっている。

私は誰かを殺したいほど憎んだことは今まで幸いにもありませんが「この人、死んでしまえばいいのに」と思ったことは幾度かあります。
世界において存在することが悪影響と思えるような悪人は存在していて、劇中の男も、正直「死んでしまえばいいのに」と私が思う人種です。
以前読んだ手記でも、「さよなら渓谷」でも、被害者である女は「この人を絶対に死なせない」と言います。
自分が生きる限り男の罪の意識は消えず、自分を救うことができない悲しみの中で生き続ける。
その姿を見続ける事が自分の生きる意味である、こんなに悲しく苦しい生き方があるのか、と。

「二人の関係は、憎しみか、愛か」この問題を鑑賞後ずっと考えていたのだけれど、幸せになることが許されない男女関係にも、苦しめあうという行為にも、生活という営みと体温が癒すような救いが、カメラの向こうには感じられ、関係が、生きる糧になるならば、私は紛れもなく「愛」だと思いました。
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