chi6cu

ヒトラー暗殺、13分の誤算のchi6cuのレビュー・感想・評価

ヒトラー暗殺、13分の誤算(2015年製作の映画)
3.5
辛い映画。エンタテインメント性は皆無に等しく、隅々まで悲しい。重く、暗く、残酷で、何よりも誠実な映画だった。
その後の行く末を知っているからか、それとも今の時代に照らし合わせ、恐怖するからか。
辛い。だが、そもそも戦争映画に楽しい作品があってはいけない。

史実に基づくストーリー。
1939年11月、ヒトラーはいつもよりも早く演説を切り上げる。その直後に起きた爆発。犯人は平凡な家具職人だった。
物語は家具職人エルザーが演説会場に爆弾を仕掛けるシーンで始まる。
開始15分でエルザーは捕まる。以降は彼の拘留と過去の思い出を物語は行き来する。
1939年、ドイツはまだ本格的に戦争を始めていない。国民による選挙で政党が選ばれる以前、すでにナチスの圧力は強固なものとなっていながらも人民にはまだ選ぶ権利が残されていた時代からエルザーの立場は描かれる。
彼は聡明で頑固で信念を持ってナチスに疑問を抱いている。
いわゆる「赤」として活動する友人たちにも何となく距離を置きつつも自身の恋や家族のことに頭を悩ませるエルザー。
次第に雲行きのおかしくなる世界。
差別が蔓延し、迫害が始まり、人々の多くは無知で、従うことで富が与えられると信じている。そして、力で制圧される日常に慣れていってしまう。

拘留されてからのエルザーには拷問が待っている。
目を覆いたくなるようなシーンの数々で観ていてすっかり体が冷たくなってしまった。
ナチスはエルザーの背後に組織がいると思い込み、あらゆる手段で彼に自白を強要するが、計画は彼一人の手によるものだという主張を覆せない。
彼らは見えない敵に怯えている。

結局のところナチスは何と戦っていたのだろう、と考えた。
エルザーの背後に見えない敵を想定し、「真実は自分たちで作る」と言って背後組織の存在を強要する。
そうまでして作りたかった敵とはなんなのか。
ユダヤ人に対する迫害もそう。なぜ、無いはずの敵を作りたがるのか。敵は一人ではなぜいけないのか。
エルザーを尋問する軍人やゲシュタポには思考や信念はなく、彼らの行動理由はすべて「ヒトラーの望みのままに」であった。
絶対的な恐怖という統制の下では人々は自己保身以外考えることをやめてしまう。独裁者の考えこそが行動理由となり、それに疑問を持たなくなってしまう。
無知なのだ。
無知。無知が世界を破滅させる。

独裁が成り立つ唯一の原動力は無知である。
無知だからこそ差別は生まれ、無知だからこそ見えない敵に恐怖し、無知だからこそ武力に憧れ、無知だからこそ働かずに生きようとする。
独裁から生まれる富に疑問を抱かず、一過性の安息にしがみついて、独裁者は領地をひろげ、世界は戦争に向かう。
エルガーは無知ではない。
聡明で魅力的で正直な男である。
彼にとって無知に支配された世界はあまりに恐ろしく、愛する者を守るために何としても正さなければならないものだった。
たとえ自身の命が尽きようとも、この世界は終わりにしなければいけなかった。
そう思っていたのが彼一人きりだとしても。

繰り返すが、悲しいことに当時ドイツでは国民投票が行われヒトラーは選挙によって選ばれている。
国民は無知で、そして世の行く末に無関心すぎて、絶対的な力に対して純粋な憧れを抱き、その後の世界を想像できなかった。
エルガーはその渦中で、ただ一人世界の終りを予見していたのだと思う。
そして爆弾を仕掛けた。

13分。
たった13分。爆破時刻を早めていれば、世界は変わっていた。
何万という命が、ドイツが、ヨーロッパが、世界が、きっと救われていた。一人の男の信念と勇気によって。
しかし、無知の世界で一人賢かった男の計画は失敗する。
たった13分の誤算により、独裁は断行され、悲劇は始まる。
独裁による世界平和は決してありえない。
独裁を産まない唯一の方法は知を身に着け、言葉を持つことだと思う。
そして勇気を、信念を。
しかし人は弱いから、自分勝手に過ごして自己保身の末に独裁されているという事に気付けない。
エルガーの生涯を見届け、得た知を、私たちは大切にしなければならない。
chi6cu

chi6cu