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愛のコリーダのOtoのレビュー・感想・評価

愛のコリーダ(1976年製作の映画)
3.6
観ていて気持ちのいいものではないし、自分が求める美はここにはなかったけれど、人についてすごく考えさせられたし、共感する部分すらもあって、強力なアート。

好きが暴走しすぎて「殺したい」に行き着くまでの心理が自分にとって初めて可視化されたような気がした。常に自分だけのものにしたい、完全にコントロールしたい、を突き詰めるとたしかに、その人を傷付けて自分の痕跡を残したり、その人の大切なものを奪って使えないようにするにまで至るのか。代理ミュンヒハウゼン症候群だって同じことだ。

そもそも結末に至るまでにかなり異常な事態になっていて、二人がセックス以外のことにほとんど関心を失ってしまっていたし、第三者にパートナーの性的魅力を誇示するまでだったので、最後も自然な流れだと感じたのかもしれない。欲望に従うと人は次第に動物化して、恥も理性も恐怖もなくなっていく。バックグラウンドはさらっとしか説明していないけど、料亭の主人と女中なので、あの関係に溺れるまでのハードルも低いと感じた。
身近にも仕事中毒とかアルコール中毒とかをみるだけに、人目を気にすることもやめ、第三者に暴力を振るい、お互いすらも傷付け合う様子も、「異常者」で片付けられないと感じてしまった。みんな多かれ少なかれなにかの中毒なんだと思う。

実際、二人には共感する部分が大いにあって…吉の、好きな人の願いはたとえ自分が傷ついたとしてもなんでも叶えてあげたい、という気持ちはわかるし、定の、他の人からも愛される魅力のある人が好きだけど独り占めしたい、という気持ちもわかる。
そのリミッターが外れてあんなことになっただけで、最後のナレーションにあったように人気や同情が集まったというのもわからなくはない。この題材を描き切る監督もリミッターは外れていると思うし、長久さんが「現実の方がフィクション、フィクションの方が現実」と言っていたのよくわかる。実話ベースという意味では『プー金』にも通じるし、ドキュメンタリーとの境界をあまり感じない。

さらに、「大島作品の、物語の流れを遮断してまで監督の思想が入ってくるところに惹かれる」とも言っていたけど、映画に強いテーマを持たせているというのも特徴。アートを体験すると「なんだかよくわからんかったな」と感じることも多いけど、現実との接着が既にあるというのは大きなメリット。
何かを伝えるために作品を作るのではない、という議論はよくあるけど、後付けであろうと映画にテーマは生まれるし、テーマと表現って明確に切り離せないものなんだろう。作品が存在する意味に関して無自覚な作家には自分もあまり惹かれないし、己の怒りや興味には敏感でありたい。

映像に関して言うと…先生と寝てるときの緑っぽい照明の美しさが映画全体の赤いトーンと対照的で面白い。あとは引きのロングショットが多いなかで、人物の表情や部位をヨリで写すカットが非常に効果的。アマチュアだとここら辺のバランス感覚悪い人は多い。
上から二人を見下ろすショット、シルエットだけで頭をいれようとするシーン、印象的な撮影も多いけど、あまり好きな映像と感じなかったのは…意図に対して明確に撮られていると感じて遊びを感じなかったからかもしれない。

藤竜也は窪塚に似てるな〜とか松田瑛子は現代的な体型だな〜とか思ってみていたけど、いわば芸術性の高いAVなのでよくやり切るなぁと思ったし、実際俳優生活へのダメージもあったと聞くと、キャスティングというものの難しさを感じる。
見守っていた女中たちが処女を襲い始めるシーンとかミッドサマーに似た狂気の伝染を感じたけれど、性描写への忌避感が次第に薄れていって、モザイク入れてるのも馬鹿馬鹿しく感じられるのが怖さでもある。
『全裸監督』なんてまさにこの系譜だと思うけど、いまだに猥褻物としか見なさない意見は多いし、会田誠をはじめとした表現の自由問題もあるから、2020年代でもフレッシュなテーマ。芸術性のないエロは許されないのか?誰かが不快に感じる作品を完全に排除するのは正しいことなのか?

ただ芝居に関していうと、後半は定の話し方も明らかにおかしくなっていて、言葉遣いが汚くなり、あえて芝居感を出してるというか、誰も立ち入れない二人だけの世界にいることが、芝居で表現されているのは見事だと思った。"イタイカップル"の究極がこれなのかもしれない。

谷崎潤一郎『痴人の愛』やPTA『ファントムスレッド』なんかと似た、支配の反転を描いていて、ファムファタールものとも言えると思うけど、特異な人物の中に社会におけるなんらかの普遍性を見出して可視化するのがアートなのであって、自分にとっても他人事には思えなかった。
だからこそ性暴力や戦争を扱っているからと言って、「社会問題や犯罪を助長してる」とか言っちゃうのはかなり危険だと思ったし、一方で作品づくりにおける当事者への想像力や誠実さも大事だとは思う。

大島渚は後期しか見れてないけど、政治学科で学生運動をしていた経歴をみても本来のヌーベルバーグに成り立ちが近いし、この先に黒沢清とか園子温とか、タブーやマイノリティと向き合う作品が生まれたことを考えると、初期のATG作品とかはもっと観ておきたいなーと思った。
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