フラハティ

ラストタンゴ・イン・パリのフラハティのレビュー・感想・評価

ラストタンゴ・イン・パリ(1972年製作の映画)
2.6
私の名前は…。


公開当時より、数々のスキャンダラスな内容に問題視される本作。
ベルトルッチ作品のなかでも興行的にも成功とは言えず、主演のマリア・シュナイダーは本作により女優の道を険しいものとされる。
ベルトルッチは問題のシーンに対し、演者の許可を得ず撮影することでリアリティを表現したと言うが、かなりのバッシング。
本作を鑑賞して第一に感じたのは、そこまでする必要があったのか?ということ。


本作は人生に空虚さを感じる孤独な男の話。
若い女に身体を求めるが、自分の人生に触れてほしくはない。
この場所は、現実とは外れた場所なのだ。
名前を語ればその瞬間に自分というものは存在してしまい、名前を聞けば相手という存在を認めてしまう。
そんな関係はこの場所には必要ない。

ブランドの演技は安定の素晴らしさだが、すげぇ冗長に感じた。
いきなりマリアを襲うシーンから唐突すぎて思考が追い付かない。
その後身体の関係を持つ二人。
お互いの過去も未来も語らないことで、ここにある場所は現実ではないと感じさせる。
社会から孤立した男は誰かに繋がりを求めるが、それは現実と繋げたくない。


ひたすらブランドの孤独を描くため(まあそれがテーマだし)、マリアパートはあまり惹かれず。
レオをブランドと対のキャラにすることで、作品のメリハリがつくかと思いきや、そこまで変わらんかったね。
そもそもレオの立ち位置は映画的に絶対必要だったのかがいまいち感じ取れなかった。

実際、終盤の妻に話しかけるシーンとタンゴシーンがなければそこまで傑作とは言い難い。
逆にあのシーンがなければ、そこまで本作を評価しづらい。

孤独な男が孤独を癒すとかの類いの映画は数多くあるが、本作は癒すというより応急処置。
ブランドの演技は素晴らしいが、いつまでも心が空白で最後のシーンに至る流れもそこまで自然とは感じず。
『暗殺の森』のように広々としたシーンはあまりないので、ベルトルッチらしさは個人的にあんまり感じることはできない。


歳を重ねていけば良さがわかるかもしれないが、今後本作を高評価できるかは微妙。
250分の完全版があるとのこと(よーこの題材で撮りきれたな…。)で、オリジナル版に違和感を感じた部分の補正ができるかもしれないが恐らく観ることはないだろう。
そもそもベルトルッチの本作に対する向き合い方に嫌悪ばかり。
耽美?自分はそうは思わない。
フラハティ

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