フラハティ

炎上のフラハティのレビュー・感想・評価

炎上(1958年製作の映画)
3.4
驟閣は燃えているか。


三島由紀夫の傑作『金閣寺』の映画化。本作では金閣寺という名称は使われず、驟閣寺(しゅうかくじ)として登場している。
1950年7月2日未明に現存する金閣寺が何者かにより放火、炎上した。
本作は実在の事件を描いたものではないが、そのようになぞられながらなぜ少年は愛していた驟閣寺を燃やすに至ったのかが描かれる。


寺の住職であった父。
父は早くに亡くなり、修行時の友であった住職のもとへ世話になる。
吃音であった少年溝口は、皆からバカにされコンプレックスを抱えている。
母は父を裏切り、不貞を晒している。それを息子にはバレていないと思っている始末だ。
友も誰もいない。
あるのは父が愛した驟閣寺だけだ。

本作では吃音の溝口の他に、足に障害を持つ戸苅という青年も登場する。
こいつも嫌なやつで、「障害を持っているから周りから気にかけて貰えてるだけ」と言われる始末。
誰からも必要とされていない二人は、いつしか孤独の闇に吸い込まれていく。

純朴な少年が信じられるものはいくつあったか。
母親は不倫をし、父の友人は女や金に執着する。
周りの少年たちは吃音のことをバカにする。
自ら望んだ人生は存在せず、生まれ持ったハンディキャップのもと、優秀な僧になることは憚られる。
信じられるのは父だけだ。
父が愛した驟閣だけだ。
誰にも驟閣には入れさせない。
僕にとっては神聖であるから。
驟閣は誰のものでもない。
ただ変わらずに存在しているだけだ。
驟閣を守ることは父(との思い出)を守ることと同意。


市川崑作品を久しぶりに鑑賞したが、本作はわりとわかりづらさがあった。
原作を未読なのもあるが、場面転換やストーリーの流れを一瞬見失う瞬間が何度もあった。
内容もハンディキャップを背負った少年がうじうじする話でもあるので、観ていて面白味とか興味深さはあまり感じられない。
複雑さは単純化されているようで、葛藤などもないから一貫性がなくて、そこまでの完成度の高さは感じられはしなかったなぁ。
悪い方向へばかり流れていく溝口は、当時の時代背景でこその被害者ではあるかもしれない。
劣っているものはバカにされ、孤独と化す。
優れているものが純粋で美しいかといえばそれは決して違う。
本作の悲しいところは、劣っていて純粋でもなくなってしまうことなのではないか。
だからこそ溝口は父だけを尊敬し、愛していたのだろうか。
溝口の立場であれば確かに苦しいし、救いようはないが、自己否定の強い彼はどんな道を歩んでもこんな顛末となってしまったのではないか。
彼の環境が悪いといえば悪いが、自身も変わるべきだったんじゃないかなと冷たい批判を浴びせてしまうな。


驟閣以上に美しいものはないと豪語するが、本作の最後に現れるではないか。
燃え盛る驟閣から飛び散る火の粉は、彼の人生で最大の輝きを見たのではないか。
自らの愚かさを感じながら。
フラハティ

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