フラハティ

華麗なるギャツビーのフラハティのレビュー・感想・評価

華麗なるギャツビー(2013年製作の映画)
3.7
過去は変えられる。なぁ友よ。


フィッツジェラルドの名著『グレートギャツビー』の映画化。原作は未読。
過去にはギャツビーをR.レッドフォードが演じており、何度か映画化されている模様。どれだけアメリカはギャツビーが好きなんだ。
本作ではギャツビーをディカプリオが演じている。

華やかな世界で生きる男ギャツビー。彼の姿を知るものはほとんどいない。
毎週のように大きな屋敷でパーティを行っているが、誰も彼から招待状を受け取ることはない。誰もが彼のことを知らないからだ。ただ一人招待状を送られた人間がいる。隣人のニックだ。
何のためにパーティが行われている?
あの大きな屋敷はいったい誰が?
なぜニックに招待状が送られた?
ギャツビーとは何者なんだ。

ギャツビーは不思議な男だ。
誰からも慕われているようであるし、容姿端麗で愛想が良い。
仕事は何をしているのかわからないが、とにかく金持ちだ。
彼が語る過去は大袈裟に聞こえるが、本当なのだろう。
内面では一体何を考え、何を愛し、何を理想としているのだろう。


理想のために彼はこの生活をしているが、“本当に彼が望んでいるものは、願い追い求めているものなのか”という点において、真意が終盤になっていくにつれ明らかとなっていく。
「過去は変えられる。」と話す彼は過去に固執しているのではないか。
目の前の本質に正面から向き合うことができていない。本当に相手を理解し、愛すことができているのか。
何より自分の理想とは本当は一体どこにあるのか、彼は理解できていない。
純粋だからこそ、チャンスを掴んできたからこそ、彼が一人では到達できない境地に思いを馳せてしまっていた。


デイジーの「女性は美しくバカでいればいい。」という言葉には、1920年代の女性の生き方が語られる。軽蔑しているわけではなく、このままでいつづけなければ私は愛されないし、愛すことができないのかもという、自分らしく生きることができない悲劇的な運命を背負うということを察しているかのよう。
そういった立場上、自分が選択することが難しく、「過去は変えられない」と語る彼女の本心はどこにあるのか見えない。


過去は変えられない。
過去を変えることはできないから、今の自分を変えるしかない。
嘘や欲望にまみれて生きていくことは、今の自分を変えることに繋がることはない。
あの時代のたった数年の華やかな世界は、今も変わることはない。
でも僕らの価値観は変わっていくし、望まれていくものも変わっていく。
5年という長い時間眠り続けた愛は、あっという間に過去に成り果ててしまうが、それでも追い求めている。


ギャツビーがニックだけに語る背景とか、曖昧模糊とした存在が見え始める描写がすごく好き。やはり自分は友情ものには弱いと改めて思うな。
「なぁ友よ。」と口癖のように発するが、彼にとって本当の友だちはどれほどいたのか。金と権力がなくなったギャツビーの魅力は何であったか。

専らよかったんだが、序盤からは動きが多すぎて結構つらい。テンポも早いので観てて疲れてしまう。後半になっていくとスローになっていくのでまだ耐えられるけど。
屋敷の狂乱は、消費されていくだけの憐れみみたいなことを描いているんだろうけど、現代音楽が混ざっていて?となったし、あんまり好きじゃない。さすがに時代考証は行われているから監督の演出なんだろうけど、違和感がバリバリで自分には合わなかったなぁ。


「みんなクズばかりだ。君だけは価値がある。」って言葉は真理だよ。
ギャツビーは悪いやつじゃないし、純粋なんだろうなと思うし、仲の良い友がいなさそうなところから客観視ができる立場にいれなかったのかな。
自分で何でもやってきたからこその弱さがある。
ギャツビー、彼は1920年代のアメリカそのものだったのかもしれない…。
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