フラハティ

オープニング・ナイトのフラハティのレビュー・感想・評価

オープニング・ナイト(1978年製作の映画)
4.1
日に日に老いていく“私”と、何度も明けていく“オープニング・ナイト”…。


『こわれゆく女』に続き、ジーナ・ローランズの精神がこわれゆく状態の演技がエグい。
本作のテーマは“老い”および“演じるということ”なんだと思う。
カサヴェテスは俳優との距離が近いこともあり、これまでの作品でも演じることにフォーカスを当てている。
“老いを提示されること=歳を重ねていく自己を否定すること”と混同することで、根本的にこのような感覚を感じていたであろう俳優の精神性に関して、若者の死という引き金によりジーナは精神のバランスをきたすこととなる。

不可思議な言動を繰り返す彼女に、亡霊が降りかかるというホラー要素も、ジーナの演技で現実のように思える。


演じることは、別の見方をすれば現実世界の自分を否定することでもある。
老いという題材の演劇を演じている女優という、まさにバランスを崩しかねない状態にあり、家庭を持たず仕事に熱心に向かう自分を否定しているように思う。“愛”という言葉を多用しているところに、彼女は本当の愛を得ることができず、孤独の中で自分自身を愛することができなくなっているということが察せられる。
なぜこの仕事に打ち込んだのか?
ただ老いていくだけで、酒を取り込み、自分に呑み込まれる。
愛を辿っても愛にはたどり着かないし、演技を求めてもそこに真実はみえない。

過去を知っている誰もが、彼女を見て「昔とは変わった」とか「いい加減にしろ」とかほざく。
自分が気にしていることを言われ、ボコボコに殴られたとしても、今の自分は今の自分であり、変わらないのはそれはそれでダメなのでは?
老いていくことは嫌なことが確かに多いかもしれない。


本作で一番好きなシーンは、最後の公演で製作陣が席に戻るところ。なんなら監督が笑顔を見せたところが非常によかった。
準えた文脈を越えた彼女の新たな道が現れたようで、腹立たしく感じた感情もやはり芸術で昇華されていくという、演じることの喜びを監督なりに感じたのかもしれない。
悲しい現実も、人生は笑いとばす瞬間があるんかもなぁ。


作品としては興味深い作品であったが、やはり『こわれゆく女』のほうが完成度は高いと思うし、本作は冗長さを感じるところがマイナス。もう少し短くても良いんだが。
でも観て損はない作品だなと感じる。

老いても老いたことによる魅力はあると思うし、本作はアイデンティティの否定からの精神の揺らぎといったところで、変えることができない事象にいつまでも固執することの危うさを説く。
夜はいつでも明ける。
できれば笑って夜明けをみたい。
フラハティ

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