フラハティ

麦秋のフラハティのレビュー・感想・評価

麦秋(1951年製作の映画)
4.9
秋が訪れる。
いずれ耐えがたき冬を迎えながら、雪解けを待つ。
僕らはいつも時が過ぎ去るのを待っている。


家族が皆集まって変わらぬ日常を過ごしている。
ずっとこのままでいられればいいのにと何度思っただろうか。
時間は進んでいくし、変わらないものは存在しない。
けれどそんな時間を望んでいる。
家族にとっても私にとってもそれが幸福の姿なんだろうと。

娘の結婚話により、形作っていた表面的な家族の形は崩れていく。
本質的に家族と繋がりがあるということは、そこに存在していたという確実な事実のもとに、見えない“何か”で繋がっているんだと思う。
本作にとっては亡き息子の存在なんだろうか。
表面的には悲しみを感じさせないけど、誰もの記憶には残り、間宮家には確実に存在していた。

紀子がお見合い話を受けるところから、自分の意思で相手を選ぶこと。
終戦から6年後に公開された本作は、終戦より復興を遂げた日本で新たに芽生えた価値観を感じさせる。
本作で不在となった息子の存在であるが、この当時の時代背景もあり、“諦めている”という言葉は大いなる悲しみを感じさせる。
本作ではその悲しみを表面化するところがないのだが…。


日々消えていく日常はさして重要ではないけれど、あと何日かと数えていくと途端に重要になっていくように感じる。
本作のラスト付近はこんな感情を抱いていたし、温かさを感じるからこそ余計にわずかな悲しみが心に残り続けている。
これからの希望に向かっていく。
過去の悲しみも苦しみも、すべては未来のために。
だから僕らは生きているんだろうし、生きていけるのだと思う。
タイトルの『麦秋』という意味は、間宮家として何度も繰り返される収穫を迎え、新たな門出を祝うというとても美しい表現であるのだ。
ラストに家族写真を撮影するシーンがあり、それは家族が喪失という経験を受け入れ、新たな間宮家の形を受け入れていくという表現であった。


僕らはいつも老いるとか亡くなっていくことが怖いと感じることがある。
誰だって今この時を遺しておきたい。
永遠にしておきたい。
僕らがよく見るマンガやアニメ、ドラマなんかもずっと同じ時間を生きている。変わらないままに。
それは叶わないことだとわかっているからこそ、誰もが幸福と思ってしまう。
実際は時間は過ぎていき、僕らが残してきた足跡は消えることはない。
現在には存在していないが、過去には確実に存在していた。
それを憂うだけではなく、「こうなってしまうのはしょうがないこと」だと受け止めなければならない。
それが大人になっていくこと、親になっていくこと、人として生きることができることなんだと思う。

これからの未来にも無駄になることはないこの時間。
すべてが繋がっていて、ラストに晴れやかな表情を迎える間宮家には悲しみは感じられない。
家族であっても、話さなければわからないことはある。
語り合うことでようやくわかることもある。
逆に語らなくともわかりあえることもあったりする。
本作においてはそのどちらも表現されており、だからこそこの間宮家の温かさが画面を通じて伝わってくるんだろう。
だって奥底では家族が繋がっているというのがわかるんだよね。

本作の好きなところはもうひとつ。
登場する人たちは完璧ではないところである。
家族相手だからこそ見せる表情だったり性格だったり。
僕が見せる表情は、家族相手とその他では違う。
家族だと自分の弱みや良くないところも正直に表現できる。
それでも家族だからこそ受け止めてくれるし、いつかは理解し合えるんだろうと感じているから。


小津作品は何本か観てきたが、たぶん本作がベストかなぁ。『東京物語』もよかったが、本作は今の自分の心情とどこか繋がっているように思った。
まぁ一番は「ストンと腑に落ちたから」なんだろうなぁ。
フラハティ

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