フラハティ

プラットホームのフラハティのレビュー・感想・評価

プラットホーム(2000年製作の映画)
3.7
残らざるを得ないもの。選ぶことができないもの。


ジャ・ジャンクー出身の山川省汾陽(フェンヤン)を舞台に、4人の若者たちを描く。
毛沢東のもと理想へと走り続ける中国だが、走り出した中国を追い続けながらも思うようにいかない。
あっという間に過ぎ去っていく、中国激動の時代を淡々と映し出す。

近年の中国といえば発展著しいが、本作の舞台は文化大革命前後付近からとなっており、若者たちの変革の萌芽から、移り変わっていく若者たちをロングショットで捉えている。
直接的な文化の変革表現は感じさせないが、アイテムの変容(マッチ→ライター)などで少しずつ豊かになっていく様子もわかっていく。
天安門事件や文化大革命など、直接的な表現が難しい中国という国で、政治や社会に翻弄されていく様をまざまざと描く。
都市部の直接的な情報は広がらず、いつの間にか田舎に行き着いているような表現として適しているように思う。


劇団員として生活しているが、民営化されライバルも現れることで、従来の生き方では生きていけない。民主主義への自由化により、自由になったはずだが私たちの生活に自由さは感じられない。
遠巻きから見つめるカメラで確かに生活している彼ら。
ふらふらとその日暮らしのように映り、誰もが上手くいっていないが、これ以上上手くいきようもないと感じる苦々しさも感じる。

本作の空気感は好きだが、モヤモヤした雰囲気が残り、鋭く心に刺さるようなところがなかったのが残念。
日常と変化の積み重ねになっているが、端々に感じる表にはでない感情を捉えるのは非常に的確だと思った。


中国では内陸と沿海部で経済、文化の格差が広がっていることは関心のある人なら知っているだろうが、ここに骨を埋めていくという選択は、若者としては苦しく感じてしまう。
生まれた国、育った地域によって生き方に差が生まれていく。
彼らが沿岸地域に生まれていれば、恵まれた素晴らしい人生を送れていたのかはわからないが、“そこ”にも必ず人生が存在している。
彼らが住む汾陽は城壁に囲まれており、まさに閉じ込められているような閉塞さを感じる。
一生この街で生きることが幸せであるのか?
本作は作品でもあるし、中国という国の歴史そのものでもあるかもしれない。

汾陽が『プラットホーム』となり、若者が生き生きと暮らすことができる中国という国は出来上がるのか。

永遠に待っている。
フラハティ

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