あなぐらむ

ウォッチメンのあなぐらむのレビュー・感想・評価

ウォッチメン(2009年製作の映画)
4.1
既に「アメコミ映画」史のアンタッチャブルな一本になってしまった感がある本作。ザック・スナイダーとアメコミの呪われた歴史の始まりのはじまりである。ローレンス・ゴードンとジョエル・シルバーが80年代から映画化を画策していた因縁の企画。

公開当時、新宿ミラノ座で観た。とは言え原作も読んでないし、最低限の知識しかない。
事前に観たショットが凄かったし(当時ね)、コミック(グラフィックノベル)原作だし、フィギュアの出来も凄くよいしザックさんだしで、ちょっと興味を惹かれて観に行ったわけだが、まぁ重い重い。いろんなレビューでノーランの「ダークナイト」が引き合いに出されていたが、なるほどな、な作品ではある。

ケネディ暗殺事件、ベトナム戦争、キューバ危機…。かつて世界で起きた数々の政治的・安全保障的な事件の陰には、<監視者>たちがいた。彼らは人々をこっそり見守ってきた"スーパーヒーロー"であり、“ウォッチメン”と呼ばれていた。そして今、一人の男が暗殺されたことからすべては始まる。殺害現場に残された血が付いたスマイル・バッジ。殺されたのはかつてのウォッチメンだった…。その事件を不審に思い、真相をかぎ回りはじめた“顔の無い謎の男”。彼が事件を追いかけていく先々で、かつてのヒーローが次々と殺されていく…。

本作の世界観は、コミックファンの誰もがふと思う「現実の世界にスーパーヒーローが実際にいたら」という思いを、寓話としてではなく、より現実に近い冷徹でダークな視点で構築されたもの。
我々の生きる日常にタイツ姿の超人が現れ、警察や軍隊でもないのに「正義」のために「悪」と戦っていたとしたら。それは丁度、「ダークナイト」においてバットマンがただの自警活動を続けるお尋ね者にしかなりえないのと同様、法治国家からは脅威でしかない。彼らもまた、一般人から見れば「異端の者」であり、「アウトサイダー」である。よって、この世界では「キーン法案」という法案によってヒーロー活動が禁止されている。
これ、マーベルの「シビル・ウォー」(コミックの方ね)に出てくるスーパーヒーロー法案と一緒ですな。そんな世界。

で、彼らが守る「正義」なわけだが。
かつての冷戦時代同様、本作の舞台である時代は米ソが核開発競争を続けている時代。世界滅亡への「時計(ドゥームズデイ・クロック)」はまさに深夜0時(滅亡)5分前。
そんな「現実」の中でスーパーヒーローが守るべき「正義」とは。「平和」とは何なのか。
街の悪人を退治してるぐらいならまだ牧歌的でいいんだけど、明日にも「政治的な」要因により世界が破滅に向かおうとしている時、スーパーヒーローにはいったい何ができるのか。
そんな事を大真面目に、真正面から取り上げているのがこの「ウォッチメン」。重くならんわけがない。
それはきっと、人が建前として語る「正義」や「平和」と、実際に今、この世界にある混沌とした「矛盾」と向き合うという事だからだ。

人が「正義」という概念を持ち出す時、大抵の場合はその「正義」という言葉によって当人がしっぺ返しを食らうもので、なぜなら「正義」ってのは相対的な概念だからで、一方の「正義」は他方の「悪」でしかなかったり、そもイデオロギー対立の前では「正義」は画に描いた餅でしかない。「パトレイバー2」で荒川さんが言うように、「正義の戦争」を標榜して断罪された人々で歴史の図書館はいっぱいなわけで。「地球の平和を守る」という崇高な目的の前で、スーパーヒーローは立ち尽くすしかない。

何故なら人の性は「悪」でしかないから。争いは無くならないのだ。

そこでこの物語の中でキーとなるのは、文字通り人間以外の存在足りえた本当の超人「Dr.マンハッタン(その名前の由来はマンハッタン計画)」と、"世界一賢い男"こと「オジマンディアス」。(まぁスーパーマンですね)
人知を超えた境地に達したDr.マンハッタンは、「人」の概念の外にいる存在だ。
それ故彼は、「神」の視点で”地球”を見る。火星の生命の無い、静寂の世界をこそ「秩序」だと思う。
一方のオジマンディアスは唯一ヒーローであったことをカミングアウトして実業家に転身しつつ、ある計画を練る。
この両者はそれぞれ、ある意味で人類に絶望している。(この辺りの語り直しがザック版「ジャスティス・リーグ」へと向かわせたのだろう)

しかしDr.マンハッタンは自らが愛した女性、シルク・スペクター二世ことローリーの存在に、混沌の先にある「奇跡」を見る。その「奇跡」を見ることができなかったオジマンディアスの孤独は、「ダークナイト」のブルース・ウェインの孤独と重なる。スーパーヒーローが「世界の平和」をもたらすために行う事、自らに引き受けようとする事のやるせなさ。
それこそがまるで「矛盾」とでも言うべき、その悲しみ。

物語のラストで、文字通り消えてしまう男のように「真実」を追い続けることが正しいのか、「不正義の平和」だとしても人々に平和=安寧をもたらすことこそがヒーローとしての務めなのか。
そしてそして、最後の最後、スマイルマークに偶然落ちたケチャップが語るものは何なのか。

少し長くて陰鬱な映画ではあるけれど、ぜひその目で確認して欲しい。マーベル以前も、みんな悩んでいたのだ。
原作をほぼ改変なしとする事で監督を了承したザック・スナイダーの「大きな仕事」での見事な手腕、目も眩むヴィジュアルショックの勢いを見るだけでも、価値がある作品だと思う。

あと、物語の語り部たるロールシャッハ役のジャッキー・アール・ヘイリーの佇まいの素晴らしさ(ご本人がこのキャラの大ファンだったとのこと。都度表情のように変わる顔の紋様も印象的)、ヒロインであるローリーことマリン・アッカーマンの最高にビザールなコスチュームとくそビッチぶり(コラ)も一見の価値有り。スーパーヒーロー中で一番生々しいセックス事後シーンも見られます。