まりぃくりすてぃ

あの頃、君を追いかけたのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

あの頃、君を追いかけた(2011年製作の映画)
4.4
B級的な下ネタ連射で始まったわりには、前半(高校時代)の展開は、地に足のついた正統派ラブストーリー。
教室で、廊下で、好男子コートンの背中を美少女シェン・チアイーがペンでつつくたびに、私は条件反射のように “ときめいた”。背中はこそばゆくて、手も不思議な感触をまるでもらって。(両者に感情ずっぽり移入!)
苦味走った好男子コートンにも、高貴で美麗で親しみやすい奇蹟的三拍子揃いの優等女子チアイーにも、そしてほかの男子四人・女子一人にも、それがどこの国の映画かなんていう意識を消されて私は魅了されつづけた。ついでに女性教師たちにも?
(ただ、チアイーの友達がフー・チアウェイ一人だけというのが、整理されすぎの感ありかも。まあ、わかりやすかったから、それも可。)

▼▼ネタバレ注意▼▼

しかし、後半(卒業後)は、映画としてやや散漫になっちゃった。下ネタの持続や突然の格闘技大会などのB級臭と、クリスマスデートなどの純ラブ路線が、いささかケンカしていた。だらだらと。旧友たちの各動向も、ちまちました印象。
私が嗅ぎ取ったB級臭とは、チアイーにとっての “がっかりさせる幼稚さ” だったわけで、「え、こんなことで別れるの?」の不納得をスクリーン内外にばらまきながら、そして(強大な)ほろ苦さを何やら期待させながら、あくまでも半端なまま結婚披露宴へ進む…………。
え?
突進コートンと花婿のキス!!!!!! 「爆笑、とまったく同時に、サーッと涙こぼした」私は、盛りだくさんのフラッシュバックを待たずにもう、この映画に至福KOされた。こんなふうに極上ラストですべてが贖(あがな)われるんだね!

さて、パンフで監督はこう答えている。
「あのラストシーンを撮りたくて、僕はこの映画を撮りました。僕は、ラストを迎えるまでがどんなにひどくても、ラストさえ良ければ映画は良くなるものだと思っています」
監督と観客は、確かにこの衝撃キスによって完全に相思相愛となった(はず)。その後のコートンとチアイーが “パラレル・キス” しかしないのも、もちろん最高に美しい。

ところで、『あの頃、』云々の邦題は、覚えにくく忘れやすく言いづらい。『アップル・オブ・マイ・アイ』がベターじゃん? 「君を、目の中に入れても痛くないぐらい愛しています」と意訳する人もいるぐらい素敵な慣用句だし。

あと、誰かを得られない悲しみよりも、既に得ていた人を失う悲しみの方が、七倍つらい。(こんなことは二十五年も生きた人間なら大抵知っている。)だから、主役の美男コートンよりも、脇役の小デヴ君の方が、より切なく美しいドラマを抱えていなければならない。
それを、この映画がちっとも示唆していないということは、実際は、デヴ君は未キスの疑似恋愛しか美女子チアイーと育まなかったのだろう。「エアサプライ」の時点でマイ好感度上がったデヴ君だったが、ヒロインに中途半端に手をつけたことで、男を下げたよ。ま、脇役だから、どうでもいっか。
バスケ君と手品もどき君の扱いは、さらに消化不良。

何にせよ、爽やかな主演二人に乾杯!
撮影時点で素人新人だった美男君(コートン/クー・チェンドン)よりも、ヒロインちゃん(チアイー/ミシェル・チェン)が、微妙な心理変化をきちんと演技として表現できていて、さすがお姉さんだった。若くしてもう、女優の中の女優だと思う。ずっと応援したい。 ブログの子(フー・チアウェイ/役名と役者名同じ)もね。

繰り返して書くが、意表つくクライマックスは(吉本新喜劇並みに!)本当にハイレベルな満足を与えてくれた。過剰さが売りのインド映画や、過剰さとともに情緒最優先主義だったりもする韓国映画や、見てくれ重視が多い中身薄の日本映画だったら、きっと美男君が実際に花嫁を強奪してしまったことだろう。それを、空想上の「たら・れば」キスにとどめて綺麗に去らせたところに、台湾映画の品格と良心と小心さ(?)がよく表れてる。
2011年作か。日本でいろいろあり、台湾の皆さんには特別にお世話になったから、そこらへんにも感無量。この素晴らしい役者さんたちも監督さんも、私たちを心配して涙してくれたのだろうな。
国境なんか軽々越えて世界中の人たちと歓びや愛を共有したい。そう願わせてくれる力が、良質な外国映画にはしょっちゅうある。『クーリンチェ236分版』と『南風』で台湾物にはこりごりしていたから、救いのこの傑作が心から嬉しい。