アー君

昼顔のアー君のレビュー・感想・評価

昼顔(1967年製作の映画)
3.5
本作は現実と妄想世界が複雑に入り組んだ映像で観る側を混乱させる興味深い内容ではあったが、ブニュエルらしさがあったのかと言えば微妙なところもあった。おそらくフランス側の検閲によるカットがあったためなのか、過去の作品に比べるとブニュエルの求める理想にズレが生じたのではないかと推測する。

検閲でカットされたのはシーンは資料によると、
(1)使用人の格好をした客が針を使って被虐的な要求をする場面。
(2)アジア人の場面において血のついたタオルを映すショット。
(3)屍体愛好家(ネクロフィリア)である侯爵が、死体役を演じたセブリーヌに嘆く場面などである。

このような上記のカットからなのか、性的不感症であるセブリーヌの性を観念的に描いているように見えてしまい、何処かしら今村昌平「人類学入門」のスブやんの女性版のようでもある。

そして、セブリーヌが何故そのような異常性愛を求めるようになったのか理由になるが、少女時代に中年男性からの性暴力が要因である。(このシーンは意図的に短くしている。)そのため、彼女は結婚をしても満足感を得られずに、マゾヒスティック、ネクロフィリアのような倒錯した悦楽を獲ることで、忘れることのできない子供のころの苦しみを浄化したかったのだろう。

「自分の性被害をお金に換えて、乗り越えた人になりたかった。」

ある女性はAV出演を辞めた後、この選択は、過去に受けた性暴力のトラウマ(心的外傷)の再演であることを知る。

苦しみと相反するように、何故か性行動がより過剰になるのはトラウマの影響であり、「私と同じように傷つく体験を繰り返してほしくない」と、自身に起きたことを女性は語っている。

「昼顔」にもブルジョア支配や抑圧された性解放を描いているが、今回は背景にある真のテーマは重く陰鬱さはやはり残った。ヨルゴス・ランティモス「哀れなるものたち」の影響がある声も確かに一理あるが、斜に構えたフェミニズム映画の始祖とも言えるのではないだろうか。

[ブルーレイによる購入・視聴]
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