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インターステラーのRのレビュー・感想・評価

インターステラー(2014年製作の映画)
5.0
2014年に劇場で観て以来、はじめてガッツリ見てみました!!! 2回目!!! すばらしい!!! ほんと、何を書いたらいいのやら。分からないほどすばらしい!!! 圧倒的なビジュアルとサウンド、サイエンスとアートの融合!!! 僕にとって、ダンケルクと共にクリストファーノーランの双璧を成す大傑作!!! 約170分と長い映画やけど、見てない人はすぐ見るべき!!! 設定自体はなんか同じようなの他で見たことある気がするくらい変哲ない。それほど遠くない未来、異常気象により地球滅亡を待つしかなくなり、何とか食糧を生産して食い繋いでいくくらいしかやることがなくなってしまった地球の外に、居住可能な惑星を見つけるため、家族を地球に残して宇宙の旅へ飛び立つクーパー。深く深く愛する家族に、どれくらいのあいだ会うことができなくなるのか、それはわからない。娘のマーフはお父さんにどうしても行ってほしくない、なのに止めることもできなくて、結局けんか別れみたいになってしまった。ワームホールを通り抜け、移住可能性の高い3つの惑星をすでに発見している先発飛行士たちから送られてくる信号を追って、それらの惑星を訪れようとするクーパーたち。だが、3つのうち最も近くに位置するものは巨大なブラックホールの近くにある。そこでの1時間は、なんと、地球上での7年に相当する。果たしてクーパーたちは地球が滅亡する前に、居住可能な惑星を見つけて人類を移動させることができるのか。そして、クーパーはマーフと再会することができるのか。というお話。まず何より、宇宙の壮大な映像美に圧倒されます! 大して重要でない、土星を通過するシーンですら、宇宙の果てしなさに全身鳥肌が立つ。何より圧倒的なのがブラックホール!!! その恐ろしくも偉大な、すさまじい美しさ!!! 我々がナノな地球上で、日々フェムトな生活を送っている間に、なんと膨大なことが、驚異的なことが、宇宙のなかで起こっていることか!!! しかし、それですら全宇宙から見たらオングストローム級でしか、いや、オングストローム級ですらない。気が遠くなるような、広大無辺な無限の宇宙、そのほんの片隅で起こる、インターステラーの旅。それをとらえる映像には、CG的ツルツル感はなく、古き良きノスタルジアを感じさせる映像タッチなのが興味深い。劇中数々のショットが2001年の宇宙の旅を彷彿させる。相当のインスピレーションをキューブリックから得たにちがいない。ハンスジマーによるエモーショナルな音楽もすばらしい。永遠の中またたく間に過ぎゆくこの世界、無限の宇宙と無限の時の拡がりのなか、生まれては消える人間の愛を、慈しむかのような音楽が、静かにすべてを包み込んで、シンシンと心に染み渡る。もうこれだけで大傑作確定なうえ、キャストが最高の演技を見せてくれます。まず、娘が生きてる間に何としてでも計画を成功させ地球に戻らんとするお父さんクーパーを演じるマシューマコノヒー。地球から送られてくるメッセージを見て涙するシーンは、映画館で見たとき目がこぼれ落ちるかと思うくらい号泣してしまった。本作のヒューマンな部分はほぼマコノヒーの泥臭い演技によって固められていると言えましょう。アンハサウェイは珍しくショートヘアで、本作ではあまり存在感大きくない代わりに、真のヒロインであるクーパーの娘マーフを演じるジェシカチャステイン! この人いつも通りのナイス好演で、ユリイカ!!! のシーンはよかったですね!!! 胸が熱くなりまくった。脇を固める豪華キャストの面々もみなさんすごく良かった。思い返して考えてみると、みんなそんなに存在感デカくなく、ほぼマコノヒーの独壇場、けど、それでもこの大宇宙のなかで、人間ってほんまにいいもんだなぁと感じさせてくれる人たちばかり。特にクーパーのお父さんを演じるジョンリスゴー、めちゃめちゃいい味出してた。てか、息子の若い頃を演じてるのティモシーシャラメ&最後のおばあさん演じてるのエレンバースティンなんすね! このたび初めて気づきました。ティモシーくんは公開当時はまだぜんぜん有名じゃなかったのかな? すごく地味な役だった。あと、本作で唯一、自己のためだけに全人類を破滅させることを厭わなかった、恐るべき、だが極めて人間らしい人物を演じてるある人が出てきた時は、あれ、君、火星にいたんじゃなかったっけ?ってなりました笑 どんだけ取り残されとるねん!笑 ノーラン監督はどの作品でも非常に実験的な時間のトリックを使ってるけど、本作のそれはストーリーのなかに実に巧妙に馴染んでいて、ほぼトリックと感じさせない。時間の相対性は、映画のみならず他にも様々なメディアで大きなテーマとなっているが、本作ではクライマックスにて、それぞれのシーンの時間の伸び縮みと組み合わせが見事なエモーションの高まりに昇華。さらには時間を物理化させるという大胆な演出がなされており、人間の知覚能力の限界をはるかに超えたところに在る、隣り合わせってかそのままいまここに存在する、我々のまったく覚知できない複雑なる世界の存在を、こんなに身近に感じさせてくれる。その深さに優しく包まれる感覚。愛も、意味も、生も、死も、すべてがそこに、確かに存在する、というこの感覚。問題は ー そして我々はいつもこの問題にかえってくるのだが ー 我々がそれを信じられるかどうかなのだ。その信を、最後まで貫き通せるか。この監督は、信じる、ということを力強く選んでいる、と思った。いやー。いいですねー。実にいい。巨匠キューブリックは、人生の最後に、人間のなかの深い疑念を描き、妥協策としてのFuckで幕を閉じたのでありますが、ノーランはどんな言葉で人生の幕を閉じるのか、今からとても楽しみです。僕より先に、死なないでね。この後ノーランは、さらに大胆に時間を料理して、ダンケルクという傑作と、テネットという珍作を監督しました。さてお次のオッペンハイマーとはいったいどんな作品なのか、気になってしょうがない。
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