ハル奮闘篇

アンビリーバブル・トゥルースのハル奮闘篇のレビュー・感想・評価

4.8
【人を信じられない彼と彼女 ラスト5分で世界は変わるか?】

「ニューヨークを拠点とする映画作家、ハル・ハートリー」。
なんか、こう書くだけでカッコ良すぎて、こっちが照れてしまう。
この映画は1989年の長編デビュー作だそうで、日本での劇場公開は25年ほど遅れました。

ある日、NY郊外の小さな町に帰ってきた寡黙な青年ジョシュ。かつて恋人を殺した、なんて噂もある。腕のいいメカニックである彼が働くことになった自動車修理工場、その経営者の娘オードリーは多感な17歳の少女。「大学に行け」という父親に「どうせ世界は核戦争で滅びるのよ」なんて言っちゃう。厭世的。

この映画は「この小さな町での、ちょっとした騒動と二人のロマンス」を描いた、いわゆるオフビートなコメディです。

お互いに惹かれ始める二人。大人の分別で彼女を遠ざけるジョシュ。傷心から町を出るオードリー。二人とも、すごくイノセント。

その後の「ちょっとした気持ちのすれ違いの連続」という展開自体は、よくあるものです。
でも、この映画の魅力はそこにはないのです。

魅力のひとつは演出の飾り気のなさ。小さな町での出来事を淡々と描きます。

もうひとつは、主人公から端役に至るまでの十人ほどの人物の描き方。登場人物の悩みや優しさを丁寧に描く監督の視線がすごく真摯。それでいて過度な感情移入はせず、あくまでフラットな目線で。だから、映画がベタつかない。その匙加減が絶妙。

僕にはそれが心地よかったです。結果として、このハル・ハートリーという監督が「人間を信頼している」ことがわかります。

<以下、クライマックスに触れます>









僕がこの映画に完全に惚れ込んだのは、ラスト5分ほどの演出です。
ジョシュが一人で暮らす古い海辺の家で、オードリーと、その両親など計6人の人物が鉢合わせになります。ちょっとした言い争いになって、一人また一人と家から出て来ます。

外は海辺。たぶん夏の終わり。少し日が暮れかかって、でも空はまだ明るさを残している。少し風がある。彼ら以外に人影は見えない。

この場面で、みんなのそれまでの誤解や、気持ちのすれ違い、嚙み合わなかった関係が、6人のほんの一言、二言のごく短い会話のやり取りによって、まるで絡まった糸がスルスルッと解けていく。奇跡のようなシーン。

日暮れ前のほんの一瞬に、人々のわだかまりが溶けてやわらかくなっていく瞬間。そういう場面を、カットバック、カメラのパン、タイミング絶妙な俳優たちのフレームイン・アウトで見せていきます。

そのカメラワークと人物の動きがあまりにも流麗で(そう、流麗!)、観ているほうは、ふわーっとした気持ちの浮遊感さえ覚えます。大袈裟に言うと「その瞬間に、少しだけ世界が変わったような」そんな錯覚さえ覚えます。

6人の間をずっと動き続けてきたカメラは、最後にポツンと立っているジョシュの姿を捉えて、止まる。彼はフラれたと思い込んでいる。そこにオードリーがフレームインしてくる。数か月ぶりの再会。オードリーはジョシュが過去に犯罪を犯していようがいまいが、ずっと今の目の前の彼を見てきた。 身長差のあるふたりが向かい合って立つ…。

最後の短い会話は書かないでおきます。ちょっと良くて、ニヤッとしてしまいます。

二人の向こうに、まだ少し明るさを残した空が見えます。