NAO141

猿の惑星:新世紀(ライジング)のNAO141のレビュー・感想・評価

4.5
前作から10年後の世界を描いた作品。
監督はPOV(Point Of View:主観ショット)手法で撮影された『クローバーフィールド/HAKAISHA』で有名なマット・リーヴス。前作同様本作でも俳優の表情や動きを完璧に取り込んでCG映像化する最先端のモーション・キャプチャー技術が採用されており、主役であるシーザーを演じるのはモーション・キャプチャー俳優として卓越した技術を持つアンディ・サーキス。『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム役などで有名である。本作などを通じアンディ・サーキスの演技は高く評価されており、これをきっかけにアカデミー賞でも〈顔の出ない俳優〉も評価すべきという議論まで巻き起こっている。それ程に彼の演技は素晴らしいのだ!!本作はこの素晴らしい俳優に加え、脚本もよく出来ており、個人的には三部作構成であるリブート版『猿の惑星』の中ではこの〈新世紀〉が一番好きである。

本作が描くのは戦争によって生じる憎悪、そしてそれがいかに虚しくまた哀しいことであるか、ということである。
憎悪蔓延る世界であってもそれぞれの側に平和や相手を尊重し合うことの大切さを知っている者たちは存在する。しかし、一部の者の心に存在する憎悪の気持ちが争いを引き起こすきっかけになる、ということを本作では人間側・猿(エイプ)側双方から描いている。

実は本作には〈悪役〉というものは存在しない。確かに人間側のドレイファスやカーヴァは猿側にとっては悪である。そして猿側のコバは人間側にとっては悪である。しかし、彼らには互いを憎むだけの理由がそれぞれに存在していた。
人間側・猿側どちらの目的も〈生存〉である。人間側は自らの滅亡を食い止めたい、猿側は平穏に暮らしたい、ただそれだけなのだ。しかしそれぞれの側には〈生存〉は望んでも〈共存〉は望まないという者たちが存在する。私怨や相手への恐れが〈共存〉という可能性を妨げるわけである。

少数の敵意や憎しみが伝播した集団とその行動というものは、もはや少数の理性や正しさでは止めることは決して出来ない流れになってしまう、そしてこれこそが〈戦争の本質〉だということが本作では描かれている。現実の争いもこのような背景で起こることがほとんどである。個人個人が持つ相手への〈憎悪〉という感情、それは同じ感情を持つ者たちと出会い集団化されることで〈偏見〉へと流されてしまう。けれども我々はその前にまずは〈互いを理解しようとしている者〉を見つけ、その相手(相手側)を知る努力をすべきなのである。相手を知る事は悪い事ではない。なぜなら互いを知ることによって相手が〈敵ではない〉ということがわかるかもしれないからだ。
現実にも起こる対立、これは互いの理解不足が原因か、あるいは憎悪と恐怖があるから相互理解を拒絶してしまうのか、ここは考えさせられる。

作品としては非常に重く切ない内容ではあるが、互いを信じようとする者たちの存在が我々に感動を与え、温かい気持ちにさせてくれる。人間と暮らした経験から人間の愚かさだけでなく優しさを知っているシーザー、作中で彼は育ての親であるウィルと過ごした時の映像をビデオテープで観ているがとても温かい気持ちになるシーンである。モーリスもシーザー同様に人間を信頼し、コバにアレキサンダー(マルコムの息子)が狙われた時は自らアレキサンダーを庇っている。そしてロケット、彼は前作で猿のボスであったが、シーザーに負けて以来彼を信頼し良き相棒になっている。コバの味方になることを拒否するあたり、シーザーに対する信頼度が高いことがわかる。そしてシーザーの息子のブルーアイズ、彼は人間を嫌ってはいたが父親シーザーの意思をしっかりと受け継いでおり、人間を銃で攻撃することはなかった。ブルーアイズの友人アッシュ、彼もコバが「人間を殺せ!」と命令した際、「シーザーはきっと望まない」と拒否している。こういった点からもシーザーがいかにカリスマ性のあるリーダーかわかるが、その彼が最後まで人間との〈共存〉を実現出来ると信じた背景には、ウィルと過ごした記憶やマルコムとの信頼関係があったからである。本作を通し、違う価値観や視点を持つ者たちにいかに多く出会い、相手を知り、視座を高めることが大切かを学んだように思う。本作では〈共存〉の道は断たれてしまったが、しかしどんな時であっても互いを理解しよう、思い遣ろうとする者たちが存在するという希望や可能性があることも感じさせてくれる素晴らしい作品である。
多くの人に観てほしい!

※本作でもやはりモーリスが一番好き。
シーザーとの関係性、人間への理解力、知的で優しいがやる時はやる!!そんなモーリスが大好き♪
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