ゴトウ

平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊のゴトウのレビュー・感想・評価

2.0
まさかの鎧武のスピンオフ新作決定と、板尾ライダー登場疑惑が出たので一応観た。『ディケイド』以降のお祭(と言っておけばあらゆる粗や矛盾を無視できることにされてしまう)企画かな〜と思ったが、想像よりはひどくなかった。というか、ひどいんだけど良いところもたくさんあったな…と思いつつ二度と観ない感じ。

平成ライダーには、そのデザイン等で昭和ライダーをオマージュ元にするものも多い。また平成シリーズ自体が昭和ライダー的な「子供騙し」「お約束」的なものを裏切ることを企図してスタートしたものだから、世界の表と裏を裏返すことを企む組織を止めるという大筋も納得。実際Xvs555とか、ストロンガーvsカブトみたいな対戦が実現しているのはアツい。しかし、藤岡弘、含む往年のライダー俳優が出てくるとドラマのトーンが一気にクサくなる。この違和感、ツギハギ感を笑えるかどうかでかなり好き嫌いが分かれると思う。自分は笑ってしまった。当時一番の新参である鎧武のトーンなど一切関係なく、「ライダー…変身!!」と全文字濁音がつくくらいドスのきいた声で現れる本郷武…というか藤岡弘、。この時点で面白すぎる。「ライダーは甘くないんだァ!」とか「バカヤロォ!(女々しいことを言う平成ライダーを殴り倒す)」とか、どこまで本気でやってるのか判断に困るレベル。そこに堕することを恐怖する対象だった「お約束」が全力で襲ってきたら…というのはなかなか面白かった。「死者に未練がましい平成ライダー」という昭和側の主張に対するものとしてファイズ(草加やその他仲間の死)、ダブル(おやっさんの死)、ウィザード(コヨミの死)という人選だったのか?

主役が鎧武なのかディケイドなのかわからんレベルでディケイドが活躍していたのも、『クウガ』以降は作品ごとに独立して存在していたライダー世界を破壊した上で繋げ、しかもどさくさに紛れて昭和ライダーとも接続してしまった張本人だから至極当然かもしれない。実際ディケイド+鳴滝orディエンドがいれば、その場はディケイドルールとでも呼ぶべき「お約束」(オーロラを通ってどんなライダーが現れてもおかしくない、干渉を受けたライダー世界のルールは無視、オリジナルの設定は無視etc…)に支配されてしまう。「昭和」的なものも一律排除するのではなく、話を盛り上げるために利用できるなら利用しようという方針転換もこの辺からだと思う。このハイブリッドをできるだけ破綻なく可能にするためのローカルヒーロー的な路線も平成2期と言われる『W』以降のライダーの特徴で、スパイダーマンみたいに「ある街(もしくはエリア)の治安を守る」存在であり、かつ劇場版みたいな強大な敵が現れた時は後輩ライダーの助太刀に出張する。これによって、とりあえずテレビ本編の一年間は他のライダーに干渉しないしされない(平成ライダー初期からの路線)、でも他のライダーとも地続きの世界にいる(昭和ライダー的な路線)ことができる。「財団X」みたいな黒幕組織の布石も打ってあったりするのが上手い。で、そういう細々した心遣いを全てディケイドがめちゃくちゃにしていくという。というか、そんな心遣いはW以降のライダー同士の共演を違和感なく可能にするだけであって、平成初期と昭和の仮面ライダーを破綻なく共演させるなんて無理!たとえばライダー同士の戦いを止めることを一年間目的にしてきた龍騎が、ノリノリで昭和ライダーとチャンバラしてるのも変な話だし。だからこそディケイドが平成初期の世界を平らにならしてしまったわけで、矛盾やご都合主義とそれに対する不平を一身に引き受けることで無理筋の共演を可能にしている。

その一方で、オリジナルキャストを出演させる盛り上がりも利用しようとする。昭和ライダーはもちろん、Wやウィザード(と一応ディケイドもか)は本編後にどんな未来を辿ったのかが見られるのはやはり盛り上がる。しかし、ファイズの歴史はオリジナルの影を残しつつ妙にねじ曲げられたものとして回想されている。全くの正史通りだと因縁の敵が雑魚軍団として登場するのは意味不明だし、閉じた世界の住人だった巧が他のライダーと接触しているのはおかしい。結果、オリジナルの登場人物だが背負っているのはディケイド的な偽史という妙な状態に。それどころかヘルヘイムの森やロックシードなど、一応メインのはずの鎧武の設定も変質してしまっている。ゲネシスドライバーを使う貴虎と光実、絋汰が共闘しているってどの時点なんだ?とか。出せる人オリジナルキャストだけ出す形になるのは仕方ないんだけどね。オダギリジョーと佐藤健と菅田将暉と福士蒼汰を同時に呼ぶ映画なんて、仮面ライダーじゃなくてもなかなか無理でしょう。しかしそれにしても旧作品に対するリスペクトが欠け過ぎ。バックボーンの単純化とかは仕方ないにしても、SEの誤用、能力の誤認は絶対ダメ。

そもそも鎧武が初期平成ライダーへのオマージュでもあり、本来ディケイドによって平らにならされてしまうライダーでもある。昭和ライダーへの否定として現れた初期平成ライダーが、昭和ライダー的に地ならしされた後の世界に迷い込む初期平成ライダーへのオマージュである鎧武…長期化しすぎるあまり、レガシーを否定するシリーズ自体がレガシーになってしまい、平成を一区切りに『ジオウ』が全部潰すしかなかったと考えると納得。否定したはずの「子供騙し」と「お約束」をつまみ食いした結果、それに飲み込まれてしまう。まさしく「禁断の果実」。たえず自己言及するシリーズとして観るのも面白い。セリフで「平成ライダーが」とか言ってんのも本当はおかしいんだけど、そういうメタっぷりを極限まで推し進めて終わらせたのが『ジオウ』だったよね。

ただ、戦隊モノまで欲張って入れたのは完全に蛇足。ただでさえ諸勢力が入り乱れてわかりにくいのに。話的にも大して絡まないし、単純に盛り上がりのために入れたのだろうか。プロデューサーの意図としてシリーズの視野を広げていきたい時期だったらしく、キカイダーやらサッカーやら、たしかに鎧武はコラボが多かった。アニメ畑の虚淵玄らを起用したのもそういう事情らしい。が、虚淵の平成初期リスペクトの結果、閉じた世界(それもものすごく完成度が高い)ができてしまった。結果、ことごとくコラボが変な感じになり、本筋とも当然絡まない。ホスト役の鎧武に設定のガバガバ度合いが足りなかったよね。本来悪いことじゃなくて、むしろすごいんだけど。

昭和ライダーとの共演の舞台に風の街、風都を選んだのもバッチリだし、整合性気にしなければ士と他のライダーの絡みもアツい。何回もやり過ぎてライダー揃い踏みも恒例行事みたいになってきてるから、それ以外のところで盛り上がりを作ってもらうろうが良いよね。実生活でライダーの奥さんである雛形あきこのキャスティングも面白い。左翔太郎との絡みで戒斗のおちゃらけ部分が引き出されていたところも良かったと思う。

実際に子どもを亡くしている板尾に、死んだ息子のために世界を滅ぼそうとする悪役を演じさせるのはどうなんだ、と言われていたけどどうなんでしょうか。実人生と重なる役を演じることでなにか昇華されたりとか、そういうことはないのかしら。本当に板尾が入ってるのかというくらい緩慢な板尾ライダーのアクションの方が気になるわ。強敵感ないのよ。
ゴトウ

ゴトウ