ゴトウ

正欲のゴトウのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.4
原作小説を読んでいないのでなんとも言えないが、朝井リョウ節の俯瞰群像劇なのでしょう。大傑作『桐島』とどうしても比べながら観てしまったのですが、個々のキャラクターのありようが前面に出てきていた『桐島』よりは、登場人物たちの属性(作中の表現で言うなら「指向」か)や主張によってストーリーが駆動している印象。結果、言葉で説明する場面が多くなって冗長に感じてしまった。展開のテンポ感も早くはなく、2時間ちょいとは思えないくらい、集中が難しい。映像面でのダイナミックさはほぼ水に依存している一方で、「小児性愛者は存在自体が罪なのか?」みたいな答えの出ようもないトピックが後半にねじ込まれ、モヤモヤしたまま映画が終わってしまう。不同意性交とも話が混同されている気もしてしまうし、「普通」の人が無神経もしくは加害的に描かれているのもあり、(『いちばん好きな花』ほどではないにしても)謂れのないことで怒られている気分にもなった。そっとしといて、ほっといて、と言われたらそうするけど、わかり合えない人が近くにいるだけでイヤだと言われてしまうと切ないよ。

不同意性交が法的にも倫理的にも許されないとして、では「いろんな人がいるよね」という「やさしさ」はどこまで適用可能なのか?小児性愛指向の人間が法に触れない範囲で生きているとすれば問題ないのでは?と思えるけれど、自分に小さな子どもがいて、同じマンションに児童買春の前科がある人が住んでいると聞いたら平常心ではいられないだろう。他人の「フェチ」に興味を持ったり、面白おかしく消費したりすることが相手を苦しめている可能性もある。では他人に不干渉で、自分も他人も一人きりでいる方がいいのかというとそんなこともなく、やはり「あなたが一人きりでなくてよかった」になることを祈るしかないのか?

仕事→恋愛→結婚→出産を誰もが踏む人生の自明のステップとするような価値観で生きている人たちの物言いが、そこに馴染めない人のことを傷つける。ただ、そうした価値観から逃れて(束の間ではあっても)平穏な時を過ごせる場所として東京が対比されると、それはそれで田舎を悪し様に描きすぎな気もしてしまう。九州の田舎には未だ男尊女卑の文化が強く残っているとか、話には聞いているし実際ある程度はそうなんだろうけれど、一緒くたに「田舎はステレオタイプを押し付ける人間だらけだ」と歩み寄りを拒むのも、それはそれで息苦しい生き方ではと思ってしまう。「先に自分たちを否定して苦しめたのはあいつらだ」と夏月や佐々木の側が主張するとしたら、何も言えない気もするけれど……。

吾郎ちゃんのキャラクターも相まってか、検事さんは狭量な人間代表みたいに見えなくもないのだけれど、どこかで誰かが線を引かなくてはならないケースは確実にある。わかってる/わかってない、いいやつ/悪いやつの間に壁を設けることそれ自体が暴力性を孕んでいるわけで、「正しい欲求(と正しくない欲求)」なんて究極的にはないことをわかりながら、その汚れ役を引き受けているのだと思えば彼なりの悲哀がそこにはある。言い方や接し方に問題がないわけではないことを踏まえても、明らかにゆたぼんを意識しているYouTuberに憧れる息子を案じるのはごもっともだし、なるべく暴力を振るわないように言いたいことを伝えようともしている(上手くいかないけど)。「有害な男性性」の話でいうなら、むしろできるだけそこから脱却しようとしているようにも見えてしまった。「自分が理解しようとする側だと思うな」というセリフもあったように、理解し得ない他人とどう適切な距離を取るか?に心を砕くしかないのかもしれない。

いかに水に対して性的興奮を覚える体質といえど、夏月も佐々木も一回も(普通の)セックス描写なり性教育なりに触れずに来たの?という部分はかなり疑わしかった。正常位の体制だけ二人で再現する場面、例えば映画やドラマ、もしくはアダルトビデオなどですら見たことなかったようなぎこちなさで、いくらなんでも二人を天使みたいに描きすぎなのではという気もした。常に周囲から勘ぐられる息苦しさから逃れた偽装結婚、性愛以外の部分で結びついた信頼関係が互いの生を肯定するのは切実ではあるけれど……。
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