ゴトウ

オッペンハイマーのゴトウのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.8
苦悩に満ちた顔で黙っているキリアンマーフィーを見ていると同情したくもなるが、身近な人間を傷つけることをあまりになんとも思っていないので相応の報いを受けるのも当然のような感じもする。観ているこちらの気持ちも「ゆれて」いる。世界を滅ぼしかねない兵器を生み出したこと、実際に多くの人間の命を奪ったことへの罪悪感には苦しむのに、公衆の面前で他人を辱めたり、パートナーや愛人に不義理をしまくってきたことには(女が悩み抜いて自殺するまでは!)あんまり何も思っていない、道徳観の濃淡はグロテスク。誰しもが多かれ少なかれ他人の不幸を無視して生きているのも確かなので、プロメテウスなどではなく人間・オッペンハイマーの話、という見方もできるかもしれない。

神秘に手を伸ばそうとすること自体の善悪を問うのは難しいかもしれないけれど、多くの命を奪う兵器になることが明らかなのに「力の使い方にまで我々は口を出す権利も責任もない」の一点張り(しかも心からは思っていない)というオッペンハイマーの態度はキャラクターとしても煮え切らないうえ、原子爆弾が落ちた国で生まれた人間として受け入れ難いものもあった。ただ、原子爆弾を作ったことへの後悔を題材の一つに取っているので、ラブロマンスでベタベタに味付けされた特攻隊ナショナリズム映画みたいなものとは当然区別されるべきだと思った。あの種の映画でいえば旧日本軍による他国民への残虐な行為とかはオミットされているわけで、アジア諸国の人たちが観たら憤慨する可能性は大いにある。自分は「ゆれて」いると、どこにも属していないというポーズを取るオッペンハイマーの態度の無自覚な邪悪さは、「右でも左でもない」と自称しながらレイシズム発言を垂れ流す人々と重なるようにも思われるし、そのものずばり「〇〇に政治を持ち込むな」「持ち込んでいない」という議論がオッペンハイマーと同僚の間で交わされたりもする。寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ、とこちらの気持ちを代弁してくれるかのようなキティのブチギレっぷりは爽快だった。

映画館で観た方が良いという声にも納得の激しい音と光の演出もあり、取り返しのつかない破壊力の壮絶さをBGMや爆発音が強調してくる。被爆者たちの死や後遺症が匂わされたりセリフで語られたりはするものの、オッペンハイマーが見る幻覚は「自分が作った爆弾が、目の前の人たち(=アメリカ国民)をも同じように悲惨な目に遭わせるかもしれない」という不安を強く映しているのではないかとも思わされる(広島・長崎の惨状はもちろんだが、水爆と軍拡競争への懸念にウエイトが移っていく印象もある)。実際の被害状況が描かれていないことを作品の粗としている意見もわからなくはないのだけれど、人間一人が知覚できる、感情移入し得る範囲には限りがあるという残酷な現実の話としてはアリなんじゃないかとは思った(『関心領域』もそういった話なのかしら?)。それにしたって、作中世界でもオッペンハイマーが見たであろう実際の写真が一瞬でも入っていたら、全く違った重みを持つ話になったとは思うけれど。

後半からは本人のあずかり知らないところで勝手に大きくなって取り返しがつかなくなっていく話、ストローズとの対立に主軸が移っていく。白黒なのはオッペンハイマーが知り得ない部分の話で、「宇宙の神秘」などとはほど遠い、妬みや嫉みと足の引っ張り合いの世界の話でもある。オッペンハイマーとアインシュタイン二人の世界からのけものにされた、悪口を吹き込まれたんだ!と吹き上がってしまう自信のなさが、権力への執着や劇場型の嫌がらせへとつながっていく。世界を変えてしまうような科学の天才よりは断然こっちの気持ちがわかるような気もしてしまうし、現代アメリカ(あるいは日本、あるいは世界)で跋扈する反知性主義的なムーブメントも、こういう切なくて独りよがりな感情から来るものなのかもしれない。蔑ろにされた!と思っているのはこちらだけで、当の天才たちはそんな次元で話などしていないというのも皮肉なオチだった。

自分が生み出したものが自分のコントロールを失っていき、好き勝手に解釈されたり恨みを買ったりすることは避けられない。そうやって何かしらのジャッジを下されることを受け入れて、自分の人生を生きるために「戦う」(殺し合うということではなく)ことの話のように感じた。曖昧な立場を取り続けることは、善い悪い以前に不可能であるという価値観に貫かれている印象も受けた。オッペンハイマーを追い詰める爆弾の音と光は、スクリーンに映し出される映画そのもののようでもあり、ジャンルで言えば「戦争モノ」「歴史モノ」という括られるであろう作品を通して、映画やその他創作行為全般を「裁かれるのも承知の上!」と映画の作り手側が自己言及しているようにも思われた。だからこそ、「バーベンハイマーはよしとしちゃうのね」とガッカリも深まるばかりなんだけどね……。ロバートダウニーJr.から授賞式の振る舞いについて何か弁明があったわけでもないし。それこそ、倫理観が及ぶ範囲のグラデーションということなのかもしれないけれど……

しかし長い!退屈な時間があるわけではないのはすごいけれど、それにしたって長かった。「ゆれていたい」「私もゆれたい」→セックス、みたいなところくらいしか笑える場面もないし、かなり集中力は必要。冗談抜きで20回くらい出入りしてる人がいて、気が散るし心配でした。我慢できずにエンドロール中にスマホ光らせる人もちらほら。外出るまで我慢しよう。
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