ゴトウ

アメリカン・フィクションのゴトウのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
2.9
この映画がオスカー脚色賞というのも皮肉に感じる。メタ、メタ、メタ……というのもあんまり繰り返されるのが苦手なので、面白がり方がいまひとつわからなかった。「だからポリコレは浅薄なんだ!」というのもアホみたいだし、といって映画賞の権威に全乗っかりで訳知り顔というのもなんだかなという気もしてしまう。「アフリカ系に対する差別意識がどうのこうのと語られている横で、アジア人は無視もしくは軽視されている」という描写ががっつりあり、少なくとも『アメリカン・フィクション』の作り手にはそういう認識はあるということね。にも関わらず、なぜか白人ハリウッドセレブと自分を同一化して話を矮小化しようとするような日本人批評家が一定の権威として存在している。反ポリコレ言説は往々にしてネトウヨチック、欧米コンプレックスとレイシズムと結びついているので同調したくはないのですが、アメリカのフィクションが称揚するようなPCは眉唾ものだなという認識を新たにしました。コンテンツの「正しさ」を巡る諸々を皮肉るこの映画自体も、Amazonの巨大資本によって成立していて、オスカーの権威をまとって極東のアジア人から再生される数を伸ばしているであろうことは認識しておくべきでしょうね。自分だって「アカデミー脚色賞か……」とか思いながら再生しているのであって、なんだかんだ言いながらアカデミー賞を一つの指標(もしくは権威)とみなしていることを自覚しなくては。と、自分もメタ、メタ、メタ……。

問題提起する/問題意識を持たされることだけが目的なら映画で観る必要ないし、どこまでも書き手の「リアル」さを求めるのならそれが「フィクション」として出力される必要がどこにあるのかわからないという思いもある。申し訳程度に主人公のドラマとして添えられているのが古式ゆかしい家族道徳なのも相まって、観ている人が生活や心の安寧を脅かさない範囲で顔をしかめられるような見出しがついてりゃいいのかよと思わなくもない。ハリウッドセレブ、欧米の業界人(あるいは欧米かぶれの業界人?)が学級委員みたいに言うことを鵜呑みにするのかアホらしいことだと感じるようになってしまったので、宇野維正みたいに自分を(空想の中の)アメリカ人と同一化する気にもなれない。

「リアル」は安全圏から消費されるばかりで、実際に自分の生活と接続して考えることはしないパンピーの無責任さがチラ見えするところはよかった。Netflixのアニメと同じでただ面白がる対象でしかないため、舐達麻を聴いたり口ずさんだりしていても「大麻は犯罪だから犯罪」程度の考えしか持っていないし、ANARCHYの曲聴いて「パンチラインだわ〜w」とか言った口で、自己責任論で生活保護叩きしちゃうみたいなことでしょう。「バカばっかだ全く」とバカがカラオケで歌っている。売り物になった時点で愚弄されることが確定している「リアル」は、高度な「それっぽさ」と区別がつかない。が、やはりオスカーの中での(ハリウッドムラの中での)「社会派」的な意識だってそれと同じじゃないの、とも思わされてしまい、全然入り込めませんでした。

あとはAmazonプライムの字幕がクソ仕様で、“”で囲われた部分の閉じる方が?マークに変わってしまっている。これがかなり没入を邪魔してくるのですが、所詮英語もわからない極東のイエローモンキーにはこんな程度でええやろってことなのか?と思ってしまいました。でも筆名スタッグRリーはちょっと笑ってしまった。
ゴトウ

ゴトウ