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小野寺の弟・小野寺の姉のchi6cuのレビュー・感想・評価

小野寺の弟・小野寺の姉(2014年製作の映画)
3.8
手放しで絶賛できる面白さ。
もとは舞台なので話の伏線回収が華麗で一つも残さずに美しく話が完結するのが素晴らしい。
片桐はいり、向井理の主演二人も舞台から引き続きで相性の良さがにじみ出ている。
笑って、笑って、笑って、最後にほろりで少し笑って終れる。

私は向井理ファンです。
彼びいきで観てもなかなか絶賛できない作品は正直多々あるものの、今作は本当に「向井理」という人間性が、こういう役にフィットしていたらすごくうれしいな、と思えるような愛しいキャラクター。
ぼそぼそと愚痴を言う姿やめがねを直すしぐさ、猫背、寝癖、トラッドなスタイル。
調香師という仕事にそこはかとない色気を感じさせながらも鈍感でありながら芯をとらえたセンスと悩み多き純粋さは愛しき男性像で容姿のみがクローズアップされる彼のイメージからはかけ離れたキャラクターながら、非常に自然に無理なく演じている姿が心地よささえ感じるほどに可愛らしく魅力的。

一方、驚くべきはやはり片桐はいりの存在感。
実年齢より10歳以上若い役、しかもあの向井理の姉役でありながら何ともしっくりくる家族感は、彼女の演技の包容力のなせる業で、巧みな脚本に笑わされながらも、その表情がいちいち切なく、ラストは思わずぼろぼろ泣かされてしまった。

「泣き」の演技が日本人はうまくない事が多い。
教育上、社会上、子供の頃から理性的にふるまうことを強いられる日本では、特にこの二人のように容姿に特徴のある人は大きな感情の起伏を表現して生きることは難しかったに違いない。
容姿だけで目立つのだから言動は目立たぬ様に、という護身術が身についている。
と、いうより、日本人の多くは感情の起伏を表現することはあまり良くないと思っている。だから大声で泣いたり怒ったり笑ったりすると「迷惑」と思われてしまう。
この映画の小野寺姉弟も早くに両親を亡くし、二人で慎ましく、でも豊かな人生を送ってきた。
領分を保ちながら、感情を抑えながら。

小さな感情の起伏の中では慎ましいことで幸せは訪れる。
ご飯の炊ける匂い、ピカピカに磨かれたメガネ、良く干された唐辛子、たまに身にまとう可愛らしい服。
逆に、小さな傷もいつまでも癒えない。
別れた彼女の髪の先や、背中の温度が忘れられない。
フラれた男子が中年になっても見栄を張ってしまう。
慎ましく大人になった彼らは小さく日々幸せを感じ、小さく日々傷つき続ける。
そんな彼らに訪れた恋の顛末。
本当に巧みな脚本。しっくりくる演技。「いい人」しか出てこない内容なのに小さく小さく傷を負った二人の最後の涙が本当に痛い。
姉が泣くまでは堪えたけど、弟が泣くところで我慢できなかった。

彼らの服装、家の内装、仕事ぶりなどが等身大の「やさしい生活」で、兄弟のいない私には素直に憧れることが出来てとにかく恋しい。
小野寺家のお茶の間で一緒にお味噌汁をすすりながら、してくれない思い出話をぼんやり想像して口数少なくおいしくご飯を食べているような気分になる。
それくらい、この映画には親近感を抱いてしまう。
悩む人々に、きっと人間は共感する。

大人になればなるほど、傷つかないように、傷か深くならないようにとあきらめることが上手になっていってしまう。
一歩踏み出さなければ安全だったのに、恋はいくつになっても期待が不安を上回ると動き出してしまう。
もうこれ以上、成長は必要ないのに背負わなくていい傷を負ってしまう。
泣く演技の上手じゃない日本人の、でも日本人にしか流すことのできない涙がこの映画では観ることが出来る。
あんなにおかしいお話なのに、あんなにいっぱい笑ったのに、ぶっちゃけオチも読めていたのに、映画の内容を思い出すと鼻の奥がつんとする。
きっと私も、恋の終りにこういう風に泣くのだと思う。
涙の後に、おいしいご飯を食べて生きていく。
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