「なぁ、ジョン。いずれこう思うはずだ。“フランクになりたい”“フランクになれるかも”と。だけどな、フランクは1人だけだ」
すごくイヤだった。
サクセスに取りつかれたジョンがすごくキライだった。
仕事から帰宅して、ご飯できてるわよと言われても、思いついた曲を忘れちゃうからと部屋にこもって録音、やっぱりダメだと肩を落としていた彼の方がよっぽど魅力的だ。
映画の中ではどんな夢だって叶う。
なりたかった憧れの職業を手にする。
それがダメでも、長年わだかまりのあった家族と和解できる。
別れの先には新しい出会いの予感がする。
待っているのは、主人公によかったねと言ってあげられるようなラストシーン。
10代の頃はそれでよかった。それがよかった。
だけど、2回目の干支が回ってきたあたりから、なんだか胃がキリキリするような、鈍い痛みを感じるようになった。
‘夢を生きる’とハッシュタグを付けたところで、突然ヒットソングが生まれるわけじゃない。
バンドメンバーになったところで、いきなり才能が開花するみたいなファンタジックな演出は用意されていない。
YouTubeの再生回数が伸びてアメリカの大会に呼ばれ、たとえみんなが僕を知っていたとしても、それが本当の幸せとは限らない。
みんなから愛されるために、万人受けする音楽を作ろう。
そのために、トリッキーなサウンドはやめておこう。
愛と引き換えに自分らしさを捨てろと持ち掛ける、ジョンは残酷だ。
「すべてが終わっても、振り出しには戻らない」
戻らないんじゃなくて、もう戻れないんだよ。
追い続けた夢に折り合いを付けるって、こんなに苦しいものなのかと途方に暮れた。
( ..)φ
映画を観ていて嫌だなと思うときは大抵、それが自分の中にあるときだ。
自分で自分の嫌なところを自覚しているのに、さらに浮き彫りにされるような苦々しい気持ちになる。
才能がある、才能がない。
誰でも一度は考えたことがあるんじゃないかと、このレビューを読む人にすがってみる。私はある。
こうやって文章を書いていると生みの苦しみみたいなものがあって一瞬錯覚する。だけどそれも結局ハリボテに過ぎないのだろう。
辛辣で厳しくて、弱いところを突かれた気がした。情けなくなった。
と同時に、共感してホッとした。それが悔しかった。
私はこの映画が好きなんだ。
Vance Joyのriptideを聴いていると無性に泣きたくなった。