優しいアロエ

ジャンヌ・ダルク裁判の優しいアロエのレビュー・感想・評価

ジャンヌ・ダルク裁判(1962年製作の映画)
4.1
〈会話と足元で構築するジャンヌ・ダルクの最期〉

 ジャンヌ・ダルクにまつわる希少な記録とされるルアンの裁判台帳を叩き台にしたロベール・ブレッソン作品。

 『抵抗』『スリ』を経たブレッソンは、本作でもその研ぎ澄まされた映像感覚を遺憾なく発揮している。すなわち、身体の部位や事象を空間から切り離し、断片化することで、簡素だが力強い映像を生みだすというものだ。撮影監督は『田舎司祭の日記』以降タッグを組んできたレオンス=アンリ・ビュレルが担当する(そして本作で衝突、解散する)。

 ただし、「手」に注目の行きがちなブレッソン諸作に対し、本作は拘束されたジャンヌ・ダルクの「足」に力点が置かれている。冷たく重い足枷がジャンヌの足に繋がっている描写を反復し、足枷が外される瞬間は結末の火刑間際にようやく捉えられる(00:56)。それは不条理な異端審問からの解放を表すと同時に、死後は神の救済が待つと信じるジャンヌの心境を反映している。ジャンヌが処刑台へと裸足でひたひたと駆けていくシーン(00:59)も同様の意味を持っているだろう。少し滑稽でもあるが、息を呑む瞬間だった。

 また、ブレッソンは素人を起用し、感情を削ぎ落とした演技を施すことで知られる(これを役者ではなく「モデル」と呼んだ)。ゆえに表情や語気に乏しく淡々とした作風になるわけだが、『バルタザールどこへ行く』『少女ムシェット』、そして本作など、ふと涙を流すシーンが入ることがある。それはせっかく感情を抑制した語り口を阻害しているようにも思えるのだが、逆にそうした極度の感情すら表面的に済ませているようでもある。

 『田舎司祭の日記』同様、宗教性が強く、セリフの量が膨大ゆえブレッソン作品のなかでは中くらいの評価。打楽器と管楽器による劇伴は園子温『自殺サークル』に引用されたそうな。
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