ましゅー

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のましゅーのレビュー・感想・評価

3.8
連投失礼します。

前回投稿の「シェイプ・オブ・ウォーター」もそうですが、本作も私が映画鑑賞をほぼ全くしていなかった時期(2014~2018年)の作品なんですね。
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しかも両作ともアカデミー作品賞を受賞していると。この辺の受賞情報関係もこの期間全くズボ抜け状態であったため、後から情報入手→近々観なきゃな~😅とは思いつつしばらく放置状態であったところ、ご多分に漏れず、Netflixでの配信期間 終了間際という事が発覚したための鑑賞でした。
(観たのが終了日12/20(日)当日未明。よって既に配信はされていません…😢)
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アカデミー賞とは言え、事前にぽつぽつ入ってくる情報ではなんだか掴みどころのないお話のような…。ふむ。そうした向きは好みではありますけれども 果たして…。
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(以下 Yahoo映画より抜粋)
「バベル」などの #アレハンドロゴンサレスイニャリトゥ が監督を務め、落ち目の俳優が現実と幻想のはざまで追い込まれるさまを描いたブラックコメディー。
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人気の落ちた俳優が、ブロードウェイの舞台で復活しようとする中で、不運と精神的なダメージを重ねていく姿を映す。ヒーロー映画の元主演俳優役に『バットマン』シリーズなどの #マイケルキートン が扮するほか、#エドワードノートン や #エマストーン #ナオミワッツ らが共演。不条理なストーリーと独特の世界観、まるでワンカットで撮影されたかのようなカメラワークにも注目。
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かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡した俳優リーガン・トムソンは、落ちぶれた今、自分が脚色を手掛けた舞台「愛について語るときに我々の語ること」に再起を懸けていた。しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)の才能がリーガンを追い込む。さらに娘サム(エマ・ストーン)との不仲に苦しみ、リーガンは舞台の役柄に自分自身を投影し始め……。
(以上 引用終わり)
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実は初イニャリトゥ😳 なかなかゴツめの作風である事は漏れ聞いてはいましたが、本作はコメディの範疇なのですね。いや、どう見てもコメディではないよな…。
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確かにエキセントリックなエドワード・ノートンの役柄とか(売れっ子映画/舞台両刀俳優との設定。生舞台上で勃起してしまいその膨らんだパンツをさらしてしまうという場面は確かに笑うが😅)、終盤マイケル・キートンがパンツ一丁にガウン姿のまま楽屋裏口から閉め出されて、挟まったガウンを脱ぎ捨て情けないたるんだ裸体を晒しながら観衆でごった返すタイムズスクエアをこれまたパンツ一丁で通り抜ける場面とか、あるにはありますが
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上記の如くワンカット(風)で本編は2時間強ひたすら進行する中、時間経過のジャンプや現実・妄想・空想入り乱れてのストーリー展開に、果たしてこの作品はどこへ向かうんだろう?と、スリリングな気分も味わえる『不条理劇』の様相を呈しながら、家族関係の信頼回復といった骨組みと、冒頭から炸裂するヒーロー映画を揶揄するようなセリフの連発を初め、舞台俳優は本物の役者だが映画俳優はただの人気者(だったかな😅?)との激辛評論家の口撃等の皮肉たっぷりの語り口を見せたり。
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なるほど。ひとくちに『この映画はこういうジャンルだ』とはおいそれとは言えない、ある意味深い、ある意味ワケわからん作品ではありましたね😅
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精神的に不安定になってしまった主人公が、追い詰められた挙げ句の悲劇的な結末かと思いきや、ホッとしたのも束の間、結局結末を観客の想像に委ねる締め方。
狐につままれたような感じもしなくはないですが、あのエマ・ストーンの何とも言えない表情に希望的観測を残す余韻は、かなり好きな部類ではありますよ。
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うん。無料配信は終わっちゃいましたが、これは久々に時間を置いて観返したい、そんな奥深さのある作品でしたね。マイケル・キートンから始まる旧「バットマン」シリーズも観とけば良かったかな…、なんて思ったりも。
イニャリトゥ、他の作品も追っかけてみるか…。
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あ、これでエマ・ストーン出演作、ようやく6作めですが、彼女の芸達者ぶりには改めて感心させられました。一時はアイドル女優と高を括ってたことを深くお詫び申し上げます🙇(誰に言ってるの🤣?)
ましゅー

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