滝和也

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)の滝和也のレビュー・感想・評価

4.0
カメラワーク。
ドラム音。
自虐と幻想からなる
極度のブラックジョーク。

「バードマンあるいは
(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

バットマン。80sにマイケル・キートンが演じたスーパーヒーローであり、彼の演技力、ティム・バートンの演出力がヒーローに命を吹き込み、現在におけるヒーロー映画の隆盛を作った作品と言える。この作品公開時の熱狂を知っていること、如何にマイケルが時代の寵児であったかを覚えているものには、この作品は刺さりやすいだろう。

この作品の彼を見る目、雑踏にいるモブキャラと同じ目線になるからだ。あなたも出演者、映画を構成している1人になるからと言ってもいい。

嘗てのヒーロー役者が復活と実力を見せるため、全てをかけて行う舞台劇のバックステージものがストーリーの柱であり、キートン自身をまるで描く作品。これをOKしたキートンの懐の深さに感服する。バードマンはバットマンそのものだ。バードマンの声色は正にバットマン時と同じなのだ。(敢えて抑えた低音) バットマンは二面性のあるキャラであり、自らを肯定も否定もできない存在。まさにそれをリーガンというマイケル演じる主役は表している

凄まじい皮肉と自虐を持って。

誰もが嘗てのハリウッドスター、ヒーロー役者としてしか見ない存在。役者としての実力を見てほしい葛藤。そして老いさらばえていく悲しみ。本当の自分を誰も理解しない悲しみ。これを今演じることができるのはマイケル・キートン以外にない。スーパーマン、クリストファー・リーブはこの世になく、更にスーパーマンをTVで演じたその先代も同じ苦しみから命を絶っているからだ。

ハリウッドや大衆への痛烈な皮肉。それはもう一人、エドワード・ノートンへも当てはまる。ハルク役者であった彼はMCUから一作で離れた。更にその役はストレートな批判を口にする。

だが、これが行き過ぎたとは言え、ブラックジョークであるとまだ言えるのは、マイケル、エドワードの演技力が頭抜けているからだ。もちろんこの作品だけではない。ヒーロー作品でもそうだったからだ。見ていた観衆にはわかるはず。彼らの演技は素晴らしかった。その自信と自負は少なからずある故、この作品を自虐のように引き受けることができるのだろう。

この二人の演技だけでも、ただの観衆への皮肉、ハリウッドへの批判めいた作品だけで終わってしまったかも知れない。だが監督、撮影の異常なまでの才気がこの作品を支配している。シームレス、ワンカットワンシーン、長回しと言い方はそれぞれだが、まるで繋ぎ目がない構造。主観がスイッチしながらつながっていく臨場感。狭い舞台裏の空間を活かし、且つ表現する方法。無限に広がるネット世界との対比もあるだろう。主人公リーガンの狭い世界の表現でもあるのか。幻想すら境目のない狂気の世界をいとも簡単に表現するイニャリトゥとルベツキには最大の賛辞を与えたい。

またBGMとなるドラムソロ。Jazzyなその音は時に不快で、時に心地よく、カッコよい…。その音にヌーベルバーグを思い出す方やセッションを想起する方もいるだろう。

この作品、ダーレン・アロノフスキーのレスラーとブラックスワンを見ていると似たものを感じるのは私だけだろうか?この2つを1つにしてマイケル・キートンの物語として更に深みと特徴ある撮影方式をとると…。ただこの作品には皮肉やブラックジョークの部分が色濃く、見るものを選ぶのだろう。ストレート且つ純粋なレスラーにより感動を覚えてしまうのは、私が単純なヒトであるが故だろう。よりシンパシーを感じるのはレスラーだった(^^)

余談 ブラックスワンは純粋過ぎて逆にホラーに感じます(笑)
滝和也

滝和也