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湖の見知らぬ男のRのレビュー・感想・評価

湖の見知らぬ男(2013年製作の映画)
4.9
静かな湖畔の森の影では、男たちがセックス求めて徘徊してる。おいおい、まさかのハッテン映画。噂には聞いてたけど、こんなに赤裸々な映画だとは。主人公のフランクは車を止めて、森を抜け、湖岸に辿り着くと、全裸の男たちが寝そべっている。男たちはそこにやって来た男に判定の視線を浴びせる。陽光がきらきら煌めく湖を泳ぎ、ひとり孤独に座る中年太りのアンリの横に座る。アンリは衣服を身につけており、誰とも交わろうとしていない様子。フランクはアンリに親近感を覚える。アンリは尋ねる、君がセックスするのは男だけか? 妻や彼女がいたうえで、男ともやるのが普通だろう? フランクは答えて言う、僕がやるのは男とだけだ。フランクはふと、今まさに泳ぎにいかんとするフェロモンむんむんの色男に気づき、彼に近づこうとする。しかし、色男の嫉妬深いボーイフレンドが、彼を森の中へと連れ去ってしまう。滑らかな水音を立てる美しき湖を離れて森に入ると、そこは茂みで迷路のようなハッテン場となっており、性交を求めて蠢く男たちが欲望でむせ返る空間である。男同士では、モーションはストレートだ。見知らぬ者同士、言葉を交わすことなく、直接股間に手を伸ばす。それはあまりに普通なことのようで、フランクはただ、ごめん、と言って手を払う。先の色男がボーイフレンドとあらわに交わっている姿を目撃するフランクは、そのフラストレーションを他の男で癒そうとする。くしゃくしゃになったティッシュや使用済みコンドームを払い、禿げた髭のおじさんと交わる。事を行う彼らを見ながらペニスをしごこうとするギャラリーを追い払い、あ……イキそう……キスして……隠そうとすることなく、当たり前のように射精が描かれる。夕べが訪れ、人々のいなくなった茂みで、ひとり、湖を眺めていたら、そこで静かに行われる殺人を目撃してしまう……という話で、まずはじめに何よりも目を奪うのは、すがすがしいうららかな湖岸で、無表情で寝そべる裸の男たちの性器であります。これほどパブリックな場所で、晴天の下、何の恥じらいもなく、放恣に投げ出された大人の性器を見ることが、人生においてどれほどまれであることか、しみじみと感じさせる。さわやかな好青年フランクは小さく可愛い包茎をぷるんと弾ませる。フランクが思いを寄せる色男ミシェルは、ポルノ雑誌のカヴァーを飾る男のように、髭をたくわえ、ブロンズのたくましい体をうっすらヘアが覆い、亀頭をむき出しにした男根を見せつける。果たしてふたりは愛を交えることができるのだろうか。冒頭から終わりまで、音楽は一切ない。ちゃぷちゃぷと水音が鳴り、ざわざわと木々がざわめき、せつない喘ぎ声が耳朶を刺激する。人々は感情をあらわにせず、心で感じていることを口に出さない。彼らが何を思い、なぜそのような行動をするのか。そのすべてを私たちは想像で埋めなければならない。あぶないと知りながら、命のリスクを冒してまで、性的衝動に従わなければどうしようもないフランクの内心には、何があるのだろう。カメラがその場所を決して離れない湖のほとりで、匿名のもたらす自由のなか、愛を求めて得られぬ男たち。その空虚をひととき埋めてくれる性の快楽。そこにあるのは、歓びなのか、悲しみなのか? ほんの一瞬、自分の価値が認められたと感じてる? 愛の幻想を求めてのこと? それともただカジュアルなセックスがしたいだけ? いずれにせよ、これほどまでにあけっぴろげに性交を描いた劇映画は、他に類を見ない。体を撫ぜる手を、からまる舌を、吸引されるペニスを、吸引する口を、吸い取られ精子を、アナルを突くペニスを、射精時股間から身体の節々へ一気に広がるゾクゾクを、口の中に広がる精子の味を、見ているこちらにじかに感じさせるほどに生々しい。こんなエロスを少しもためらうことなく大胆に見せてしまうフランス映画の奔放なアヴァンチュールに、陶酔せずにはおれますまい。そんな秘匿な湖に、とぼとぼノンシャランとやってくる、公の遣い。彼はそこにあったぎりぎりの均衡を崩しはじめる......そして、幾ら求めても得られぬ愛に焦がれる、フランクのそばに座る哀しき中年男が、森へ足を踏み入れ、あっという間に急展開するスリラー。そのダークであっけないおわりが、なんの答えも提示せぬまま我々に迫ってくる。いったいこの映画、何を我々に語りかけているのだろう。ん-、謎やなー。と思い、ちょっとだけ本作についてリサーチしたら面白いエピソードを発見。この作品、本邦で公開されるか否かが審査されてたとき、日本は修正を入れるなら可としたが、ギロディー監督は修正を施すのであれば公開は願い下げであるとしたらしい。その結果、なんと、日本でもまさかの修正なしの公開に......となってほしかったところだが、公開されない方向に決まってしまったのだとか。それを知って、なるほど、と合点がいった。アメリカの大作家ジェイムス ボールドウィンは語っている。Now, it is true that the nature of society is to create, among its citizens, an illusion of safety; but it is also absolutely true that the safety is always necessarily an illusion. Artists are here to disturb the peace. 「社会の本質は、そこに暮らす人々のなかに、安心という幻想を作り出すことである、というのは真実であるが、安心とは常に必然的に幻想であるというのもまたまごうことなく、真実である。芸術家は平和を乱すために在る。」 本作の非公開を決定した人たちは、おそらく、彼らの平和が、本作によって乱されたからでありましょう。なぜなら、本作の最も重要なテーマは、殺人にあるのではなく、ホモセクシュアルのセックスと性の衝動にあるからです。ホモセクシュアルのセックスをこんなに間近から、なまなましく、感覚的・官能的に親密に描いた映画は他にありますまい。ホモセクシュアルという社会的禁忌を暴露し、直視し、間近にその存在を認めたくない・認めさせたくない人にとっては、本作は社会に対する脅威でしかない。また、非公開を決めた人間がおそらくそこらの普通のおっさんであることを考えると、普通のおっさんが本作のなかで共感できるのは、フランクが横に座る哀しきおっさんか、人のセックスを見てシコり、あわよくばおこぼれをもらいたいと期待する哀しきチャビーボーイしかありえない。そう思ったときになるほどな、と。本作に登場する人物全員が、殺人の衝動も含め、見ている私たちの中に確実に存在することを明らかにすること、それこそが本作の本質なのではないか。そう思ったのです。いやー、おもしろい、実におもしろい。ということで、なかなか見る機会がなさそうな作品なので、3回連続で鑑賞、見るたびにおもしろかった。皆さんも、是非、男同士の奔放な性の世界に身を浸してみてください。自分の中にはないと思っていた不思議な感性が刺激されるかもしれませんよ。
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