あんがすざろっく

スポットライト 世紀のスクープのあんがすざろっくのレビュー・感想・評価

3.5
新聞社を舞台にした映画は大好きだ。
事件の発端が浮かび上がり、記者達が真相究明に奔走する。途中で圧力や横やり、自身の疑念やアイデンティティの揺さぶりに晒されながらも、不屈の信念で真実を暴き出す。そこで社会の理想や拠り所が打ち砕かれても。

長くなれば緊張感は続かないから、社会派ドラマにはテンポの良さが必要だし、作品の緩急も大事だ。
そして、主人公達や観客を奮い立たせる起爆剤。
恐らくこの起爆剤となる展開が、少し掴みにくい作品だった。

新聞社での慌ただしさ、記者達の駆け引きや衝突、これが作品の中でのアクションやサスペンスになるはずなのだけど、非常に淡々と進む話なので、どこが盛り上がりなのかが分かりづらい。

アメリカにとってカトリックの存在は、多くの国民の信仰心の象徴だ。
その暗部に目を向け、公の場に曝け出すということは、自分の中の膿を出すことと同じだろう。

「パトリオット・デイ」もそうだったが、ボストンは愛国心が強い人々が集まる街。
そのボストンを守りたいが為に、教会の醜聞に大人達は目を瞑り、長い間記者達も本腰を入れて記事を取り上げなかった。
確かに愛国心を、信仰心すら揺るがす記事だし、向かうべき相手はあまりにも強大すぎる。

それでも立ち向かった記者達。
味方になったのは、声をあげても街に見殺しにされてきた大人達。

性的虐待に合わなかった自分達は運が良かっただけだ、学生時代を振り返った記者が口にする。
もし部活が違ったら、もしミサに行く日が違っていたら…
そんな確率で被害者になることの恐ろしさ。
ひょっとしたら話してくれないだけで、自分の身近にも、被害者がいるのではないか、そんな話も絵空事ではない世界。

子供達からすれば(いや、その家族の方がもっと)、神父様に声をかけてもらうことは、恐らく神様に話しかけられたのと同じことのはず。
何故その神父様から、理不尽な要求をされなければならないのか。
子供のアイデンティティは、そこで一気に崩れるのではないか。
もっと最悪なのは、親や家族に言えず、言ったとしてもまともに取り合ってもらえない時だ。

神に見放される。
そう感じても不思議ではないだろう。
僕はそこまで信仰心がないのだが、きっと神に見放されるとはこういうことだ、と容易に想像がつく。

そんな一握りの、いや、一握りどころではない、多くの傷を負った大人達がいるという事実を突きつけられ、記者達は勝てるかも分からない相手に闘いを挑むのだ。

ただ、この話を華々しく、対面良く描いてはいけない。
映画的なエモーショナルな演出は極力排除しなければならなかったのだ。
だからこそ、淡々とした作品になったのはよく分かる。

だけど、僕の好みではなかったな。
マイケル・キートンがしっかりとチームをまとめ、見失いがちになりそうな目標を最後まで掲げる。
思えば彼は「ザ・ペーパー」でも、新聞編集者を演じ、こちらは編集長と対峙する熱血漢を好演していた。
マーク・ラファロも良かったし、レイチェル・マクアダムスも、色気を封印して好印象。
驚いたのはスタンリー・トゥッチ。癖があって、とっつきにくそうな弁護士を、見事な説得力で演じた。

作品の最後に、虐待が判明した都市の名前が列挙されるが、その数に唖然としてしまい、空恐ろしさを感じた。
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