あーや

エンドレス・ポエトリーのあーやのネタバレレビュー・内容・結末

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

詩、詩、詩。詩で溢れたアレハンドロ·ホドロフスキー(イケメン前衛カルトじーさん♡)の脳内世界をこれでもか!と詩だけで映像化してしまった作品。2時間強の間、ずーっと詩が止まないのです。正しくエンドレスポエトリー。むしろ観終わってもしばらくは脳に残った詩が頭の中でリフレインし続けていた。詩であり自伝でもある映像作品。そんなホドロフスキーの詩的世界を見事に美しい映像で撮りあげてしまったのがクリストファードイル。ウォン・カーウァイの撮影監督として物凄い映像を撮りまくってきた彼ですが、今回初めてホドロフスキー作品に参加したそうです。ホドロフスキーから溢れ出ている詩をクリストファードイルが撮影した映像で可視化する。他の誰にも表現出来ない詩的な情感漂う映像世界に酔えました。前作の「リアリティのダンス」では強硬な父親が主人公だったため殆ど彼がキレながらぶっ飛びまくっていたが、今回は青年期のアレハンドロが主人公のため怒りオヤジの怒声は少なめ。そのため観ながら疲れなかった。また感傷的な青年が主人公ということで感情移入し易い。所々「わかるわぁ~」と納得しながら観てしまうなんてホドロフスキーの映画では有り得ないと思っていました。こんな事があるのですねぇ。そうそう、パメラ・フローレスが前作同様爆乳オペラおかんとして登場したのはすんなり受け入れられた(今回は放尿無し!)のですが、まさか青年アレハンドロのミューズ、ステラ役でも登場するとは!オペラを歌い続ける優しいおかん&周囲の男をなぎ倒してゆくパワフルな恋人の1人2役!驚きました。ヌードにもなってくれたのですが、やはりダイナマイトボディですね。次回作にも誰かの役で出てくるのでしょうか。
本作では詩がふんだんに散りばめられているため、詩を脳内で勝手に展開しながら映像を観ることも愉しみの一つです。それにしても詩を映像で観るって不思議な感覚ですよね 。寺山修司の「田園に死す」以来の経験かもしれません。このような表現ができる作家は稀有です。詩は言葉だけで表現するのだから脳へ直接響く芸術なのですよね。作品中には、ガルシア·ロルカやエンリケ·リン、ニカノール·パラなど実在した詩人も出てきます。少年アレハンドロが父に隠れてロルカの詩を読みながらうっとりした表情を浮かべたり、青年アレハンドロの詩に周囲のアーティストが惚れ惚れしたり。アレハンドロが詩を耽読する様子を観ていると、私も実際にその恍惚感を味わいたくてウズウズしてしまう···。鑑賞後、本棚をひっくり返して昔購入したロルカの詩集を引っ張り出して「はぁー」と溜息をついて満たされました。
前作は横柄な独裁パパが主人公だったのでイバニェスを暗殺しようとしたり宗教に狂ったりとかなりぶっ飛び展開が多かったのですが、本作においては政治色はラストで2次政権発足後のイバニェスが登場しただけでした。そしてイバニェスの再登場をきっかけにアレハンドロはフランスへの移住、つまり確固たる自立を決意するのですね。海岸で父と対峙しながら「何もくれないことで あなたはすべてをくれた。私を愛さないことで あなたは愛の絶対的な存在を見せてくれた。神を否定することで 人生の価値を教えてくれた。あなたの残酷さで慈悲を教わった。」おお、素晴らしい!愛に溢れた父親との和解!!!怒りオヤジは息子からの許しを得てようやく解脱した僧侶のような優しい笑顔になり、アレハンドロの過去として海岸から息子の旅立ちを見守っていました。息子から父親へ捧げる最初で最後の詩にはウルッとしました。詩人らしい愛情と感謝の伝え方ですよね。
さて!次はいよいよヨーロッパが舞台ですね。ホドロフスキー全盛期の盟友たちがたくさん出てくるのでしょう。既に3作目の脚本は完成しているそうです。まだまだ創作意欲が湧き出しているホドロフスキー。愛すべき不死身のカルト表現者。新作ももちろん息子が演じるそうですよ!んー、楽しみですねぇ。
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