じゅ

カサバー町のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

カサバー町(1997年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

どう捉えたもんか
まず2人の子供(AsiyeちゃんとAliくんって言ったっけ?)視点の話ってことでいいんだろうか
そうすると序盤の学校での授業内容が重要なポイントになるだろうか
ざっっくり言うと
・家族を大切にせよ。家族は社会の核であり小さな社会である。
・他人を想え。他人に誠実に振る舞い共感することこそが困難を打破する手段である。
みたいな話だったけか
まあ互いに相似関係らしいので社会についても家族についても同じことが言えるということか
そして、誠実に振る舞うことや共感することはいかんせん難しい

子供たちは冒頭からMad Ahmed(だっけ?)呼ばわりしておじさんを転ばせて寄ってたかって笑っている。
従兄はなにをこの村に固執することがあるのかと村人をバカにしているよう。
先生(彼なりに生徒想い)やお父さん(村に水道を引いた)のように誠実であるにはまだ若すぎるらしい。

本作の尺の大半は一家+従兄の会話シーンが占めていた。会話というか半ば言い争いというか。
この一連のシーン、「何の話してるんだっけ」と頻繁に思ってしまう。時に無理矢理に話を捻じ曲げ、時に脈略なく唐突に、時にキューを受け、各々自分が話したい内容を捻じ込んでいく。懐古と壮絶な戦争体験を話す祖父、中世辺りの歴史と苦学生だった頃のことを話す父、他人を煽って話の腰を折ろうとしたり天涯孤独の身である苦しみを吐露する従兄、その他、父の兄(従兄の父)を亡くした悲しみ、猟師に誤射されて亡くなった子供やわずか2歳で亡くなった幼児への哀れみ、等。
皆同様に、自分が持つ得意な話で興味を惹こうとしたり、苦労を解ってもらいたい気持ちが伺える。学校では、喜びも悲しみも分かち合わねばならないというようなことを言われていたが、自分の気持ちを一方的に押し付けるのみで相手のを受け入れようとしない。
分かち合うというのはかくも難しいそう。

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従兄がふっかけた言い争いを治めた祖父の話もだいぶ重要なテーマと感じた。
人生幸も不幸もあるが、とにかく生きたいんだと。
タル・ベーラの『ニーチェの馬』で「生きるために生きるのだ」的な意思を感じたのを覚えているけど、それに通づるものがあるなと思った。
一方、他の生命は奪う。それは生きたいがためでもあるし、特に理由がないこともある。
山羊(?)の首を掻っ捌いてその肉を焼く光景が生々しく描かれて、Aliくんはお姉ちゃんから亀はひっくり返すと死ぬと聞いて早速実行に移す。

そういえば、祖父が語った戦争体験も、父が語った中世の歴史も、生きるために殺した話と言えるだろうか。もっとも、中世のはcivilizationの要素が大きいそうだけど。


社会のために他者に誠実にあるとか、生きるために奪うとか、そんな諸々を思うと人間が慈愛や残虐性の両面を持つこともしれっと映した作品だったように思う。
じゅ

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