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ラ・ラ・ランドのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

ラ・ラ・ランド(2016年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

2016年。

主演2人が芸達者すぎる。なにあのシャープかつしなやかな動き。フォトセッション時のライアン・ゴズリングの顔芸はやばかった。劇場内でも笑いが起こっていた。

J.K.シモンズは『セッション』の全シーンを合わせたよりもメリハリのある演技でよかった。「宇宙人か?」には笑った。

ハリウッドを舞台とした映画にありがちな、「女優志望の娘がプロデューサーと寝る」とか、「家賃が高くて払えないからウェイトレスとコールガール兼業」みたいなエゲツない事態には陥らない。ミアは他の女優志望の女の子たちとルームシェアしているが、裏切りも嫉妬もない。

デミアン・チャゼル監督が気になるのは「ジャズの堕落」の方なのだ。ライアン・ゴズリング演じるジャズ・ピアニストが、「ジャズに現代風のポップなアレンジをするバンドに入り、ジャズピアニストの魂を失ってしまう」ほうがハリウッドの堕落よりも深刻な問題として描かれている。この人は本当にジャズが好きなんだなー。

でも「本当によい音楽」であるジャズの良さを示すために、a-haの"take on me"(1985年)をダサい音楽の象徴みたいに扱ったのにはちょっと反感を覚えた。「趣味の良さを示すには嫌悪を示さねばならない」(うろ覚え)というピエール・ブルデューの言葉を思い出した。

最後の「あり得たかもしれない過去のシーン」は切なくなったんだけど、あれは「もしセブがレストランで出会った瞬間にミアにキスをしていたら」「もしセブが昔の仲間の誘いを断っていたら」「もしセブがミアの舞台を観に来ていたら」「もしセブがミアの映画撮影に着いてパリに行っていたら」…とことごとく人生の岐路におけるセブの選択の間違いを指摘する内容だったので、彼の回想なんだろうな。

セブは初めから、「状況をコントロールしたがるやつ」として提示される。「先方ではなく俺の意志でこうなったんだ」と言いたがる。しかし、ミアとの仲でもそれを実行する。バンドがうまくいき、ツアーに出始めると、「君もついていけばいい」と言うのだ。ミアが舞台まで二週間を控えているときに。彼が自分の身勝手さを悔いるのが、終盤の美しい回想シーンなのではないか。

ステージ上でたった1人スポットライトを浴びながら、"City of Stars"を悲しげに弾くライアン・ゴズリングがハイライト。

「スポットライトの中に入るにはさまざまなものを犠牲にしなければならない」ということを示した映画。

[鑑賞メーターから転載]

2016年。女優とジャズ・ピアニストになる夢をハリウッドで追う2人の物語。この場所を舞台とした作品にありがちな下世話さは皆無。オーディション場面といろいろなジャンルの曲を弾く場面があるが、そこだけでも現代のポップカルチャーへの優れた批評となっている。特にドラマのオーディション場面を観ると、もう二度とアメリカ発のドラマを軽く見られなくなるだろう。ハリウッド・バビロンのドリーマー全員に対する賛歌のような映画だが、挫折が与える敗北感も痛いほど伝わってくる。長回しからあり得たかもしれない過去に入り込む演出が巧み。
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