るるびっち

最愛の子のるるびっちのレビュー・感想・評価

最愛の子(2014年製作の映画)
4.2
最近、感情移入について考える。
映画において感情移入は、最も大切な部類だろう。
結局、主人公に感情移入せねば、話自体に興味を持てない。
逆に観客が感情移入して応援すれば、多少の話の粗さは目を瞑れる。
観客を味方に引き入れるか否かは、感情移入に掛かっている。

本作に関しては、誘拐された子供を必死に探す両親に対して、当然感情移入する。子供を誘拐する悪辣さに憤りを感じる。
実はこの憤りを感じるということが、感情移入においては大切なことらしい。
主人公が良い人だからとか、親近感が湧くから感情移入するわけではない。
悪役だけではなく社会の不正・現実の厳しさ情け容赦のなさとか、主人公の前に立ちはだかるものは総じて悪である。
それに対して、観客の憤りが主人公への感情移入に繋がるようだ。

前半は誘拐された親の必死な姿で感情移入させられるのだが、後半は人気女優ヴィッキー・チャオ扮する農婦が現れる。
彼女は微妙な役回りで、悪役ではないが彼女の正当性は認め難い。難しいポジションだ。だからこそ人気女優を配したのだろう。
ヴィッキーが子供を取り返すために必死に抗う。
しかし彼女の行い自体が観客には、当初許されない反逆に思える。反感を感じる人もいるだろう。
だが重い現実の壁の前で必死に抗う彼女を見て、徐々に感情移入してしまう。
これは観客にとっても非常に混乱する状況だ。
絶対正義である被害者の両親に感情移入していたのに、後半逆の立場の女性に感情移入してしまうのだ。
現実の混沌とした様相さながらで、立場の違う二人に感情移入して右往左往してしまう。
一体何が正しいのか? どうすれば良いのか?
観客は混乱する。
その混乱こそが、観客を単なる傍観者ではなく当事者として考えさせる為に必要な措置なのだろう。
巧妙に練られたシナリオだと思う。

結局のところ、観客は現実に抗う人物には感情移入してしまうようだ。現実が厳しければ厳しい程、何もかも振り捨てて抗う人物を否定できないのだ。

子供を盗まれた親の一人が、諦めて二人目の子供を産む決意をする。
それには誘拐されて生死も定かでない子供の死亡届が必要だ。
中国は「一人っ子政策」をしていたので、子供の死亡が確認できないと二人目を産めない。
中国独自の政策が、新たな悲劇を生んでいる。
そもそも誘拐が多発したのも、一人っ子政策が起因していると思える。
一人っ子のせいで、養子縁組は不足しているのだろう。
人手の欲しい農家には、誘拐してでも子供の需要があるのだ。
ハッキリと指摘していないが、国の政策のせいで誘拐犯が増えたのではないか? 
いわば国は誘拐教唆犯なのだ!!(こういう指摘が好物、エヘヘヘ)
誘拐から始まり、最終的には政策批判に繋がっている。
バカ制度のせいで、余計な苦労や悲劇を国民に強いてしまった。
だからこそのエンディングだ。
一人っ子政策がなければ、あの運命の皮肉は効いてこないだろう。
立ち上がれないほどの皮肉な悲劇だ。
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