正直に書くと本作の創作部分はそれほど面白いとは思わなった。
それとは反対に、本作に映し出される「リアル」は圧倒的に興味深いし感動的だ。
舞台となるのは福山市にかつて存在した「シネフク大黒座」という映画館。
2014年8月31日に閉館し、9月入ると取り壊しが始まったようだが、閉館前後のわずかな期間に実際の大黒座でロケがなされている。
■ポイント①
壁に無数に書かれた観客のメッセージ。
どうせ取り壊すんだからと、お客さんにペンを貸し出して書いてもらったもののようだが、大黒座への感謝の言葉に溢れている。
可能な限り一時停止して、仔細に見つめてしまった。
■ポイント②
実際の解体作業も撮影されていて、ここが非常にエモい。122年も続いたものがあっという間に壊されてゆく無常観。
(焼失で何度か再建されているので、建物としては50数年だけど)
しみじみしていると、まったく予想しなかった逆回し映像が挿入される。
壊れていた壁がみるみる元に戻っていくのだ。
ここは、劇中の言葉を借りるなら、まさに「うわあああっ」となる瞬間だ。
それは、現実の不可逆性に抗い、「何でもできる映画というメディア」の中だけでも、大黒座を在りし日の姿に留めようとする愛情。
しかも、それだけでない。
これは映画が産声を上げた昔にこだまする演出なのだ。
そう。リュミエール兄弟の、(今や逆再生することが作法となった)「壁の破壊」そのものだ。
しかも、「壁の破壊」は1895年の作品だが、大黒座はそのさらに3年前の1892年に(映画がまだ生まれてなかったので芝居小屋として)開館しているのだから、この劇場が映画と言う歴史をすっかり包み込む年齢であったことにも、ここで改めて驚嘆してしまう。
■ポイント③
エンドクレジットで次々と映される、「今は亡き映画館たち」。
21世紀になって、これほどまでに次々と映画館が失われているということの悲しさとやるせなさ。
もちろん、シネコンが増えたことによってスクリーン数は事実上増えているのだけれど、そこには商店街がショッピングマートに取って代わられるのと同じ、時代と経済構造のシフトがある。
ともあれ、大黒座は失われたが、その中で上映されていた「映画」というものの中に、今度は大黒座自身が入り込むという実に四次元的な位相の転換により、大黒座はスクリーンの上に永遠の命を得たのである。
こんなに幸せで感動的なことはあるまい。