るる

この世界の片隅にのるるのネタバレレビュー・内容・結末

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

2019.8.6.
日が経つにつれて、この映画のことを思い出す機会が増えているのだけれど、私たちの多くは、すずさんのような鈍感なひとたちの子孫なのだ、ということが実感として迫ってきて、辛くなったりする、きっと、いま戦争が起きたとして、大多数の人間は変わらない日常を過ごしていく、アメリカ人のほとんどがそうであるように、加害者である意識などないままに、渦中にいる自覚がないまま、"そういう時期"が通り過ぎるのを待つことになる、…そんなふうになりたくない子供だったし、そんなふうになるわけないと思っていた、私は私の物語の主人公だと信じて疑わなかったころ。大人になって、自分は誰かの脇役にしかすぎないと感じるようになった、でも、やっぱり、主人公なんだと思うよ、誰しもが。表現の不自由展開催への脅迫に怒り、中止の決定に悲しみ、結果的に脅迫側にお墨付きを与えている一部公権力に心の底から嫌悪を感じながら、原爆記念日にめも。戦後は続いている。そう思うよ。



たくさん泣いて頭がいたい、でも思い出すのは笑えたところばかり、

『裸足の季節』を見た後に見れて良かったなあ…映画は一期一会なので、映画は変わらなくても私が変われば見方も感想も変わります、再見すればきっとまた感想は変わるでしょう、でもうん、今見て良かったなあ…

いまの私はこれを戦争映画ではなく女性映画として見ました。なんともなあ、良かったなあ…

旦那さんが良い人で良かったねえ、と心から思った。声の力が凄かった。のんさんはそりゃすごい、彼女こそ天才だと思ったけれど、細谷佳正さんの落ち着きのある声、頼りになる、安心感のある声、周作さんがかっこいいひとで、好きになれる相手で、本当に良かったなと思えた。

だってねえ、本当に、翻弄されっぱなしの人生でねえ…

祝言終わった途端に、これで働き手が来てくれて安心だ、って完全に労働力扱いでね、良い姑さんで良かったけどさ、
小姑さんだってキツイひとですよ、そりゃまあ憎めない、素敵なひとだけれども、
隣組のおばちゃんたちも癖の強いひとたちでねえ、大変だったと思いますよ、

現代の価値観で見るからじゃない、普通に、大変ですよ、ああしたなかで心の支えになるような友達もなく、人間関係をイチから築いていくのは。

径子さんが指摘してるけれども、決して幸せな結婚ではなかったと思うんだよね。すずさんに縁談を断るような選択権はなかった。
でももちろん、悪い縁談でもなかった。とはいえ、呉に居場所を作ることができたのは、すずさん自身の力なのだと思う。

すずさんが飄々としているから気付きにくいけれど、触れてチクっとする針みたいなものがたくさん仕込まれてて、そしてそれは、原作者が針として機能するように意図的に描写しているんだろうなあと伝わってくる、監督がそれをしっかり掬い上げて、けれども大げさに悲劇として描かないようにサッパリと采配されてる、お見事だなあって。

(『火垂るの墓』で兄妹に辛く当たる叔母さん、成長してから見るとあのひとの立場も気持ちもわかる、あの感じを少し、思い出したなあ、明言されないけれど、さりげなく描かれているもの)

死地に赴く前の最後の思い出にと、既に嫁いだ初恋の女を訪ねてくる兵隊さんも酷いし、その意を汲んで妻を差し出す夫も酷いですよ、
小野大輔さんのカラッとした大らかな声のおかげで緩和されてるけれど、水原さん、相当横暴だし、演じるひとによってはもっと、大変厭な気持ちになったと思う。

死にゆく男を癒すのも女の役目。

男たちを癒しながら、リンさんみたいに生きてるひとたちもいる。
でも、すずさんに、こがなところへ来るもんじゃないよと忠告した彼女は、望んであそこにいたひとだろうか。

あんまりな時代ですよ。

あんまりなことを許した夫に、普通に、怒ってみせる、すずさん。
すずさんは普通だと、怒るのが普通だと、笑ってくれた、水原さん。
水原さんも決して悪いひとではない、もちろんだ。
周作さんだって悪いひとではない、もちろんだ。

周作さんだってねえ、すずさんのこと、よく知りもせずに嫁に貰った、負い目があって。
すずさんだってねえ、初恋のひとへの未練はあった、それはたしかで。
でも、それは選べなかった。選択肢はなかった。

それが当たり前だった。

水原さんだってねえ、不義だとはわかっていても、すずさんに会いたかったのでしょうよ。リンさんたちのいるところではなく、すずさんを尋ねてきたんだ、水原さんは。

悔しい、悔しい、やるせない、時代。
そんななかで、普通に生きてた、すずさん。

いやしかし、すごい、すごいバランスだった。

北條家の空気と浦野家の空気の違いが伝わってくるのも凄かった。すずさんが大らかに育つのもわかるな、と感じる、浦野家の空気。会話の内容ではなく、声の調子、掛け合いの調子で、家族の違いが伝わってくる、こんなことは、なかなかないと思った。実家の安心感ったら。どちらの家の描写でも、たくさん笑った、笑うことができた。

行間を読みきれなかった部分がたくさんあって、たぶん、艦隊についての知識があるひとならば、青葉と聞いた瞬間、その末路が脳裏を過ぎったりするのでしょうけれど、と思いながら、明言はされない、けれども、言葉にできない怒り、もどかしさ、みたいなものを感じながら見ることができて良かった。

帰り道で原作漫画を買って、読んで、なんと見事な映画化だろうと改めて感心したりして。

エピソードが順番に、オチのつくかたちで語られる原作漫画、映画では情報が多すぎて、めまぐるしく感じた理由もわかって、行間を埋めていくような気持ちで読んだ、どっちにも良さがあるなと思った。

映画版は、音と色のパワーが本当に凄くて。アニメでなければならなかった理由、絵で描かなければならなかった理由がわかる、意味がある演出も、本当に良かった、好みだった。
一方で、空襲警報の記録をそのまま見せていくシーンなどは、こういう言い方はどうかと思うけれど、男性的な演出、ミリタリーオタク向けの描写だなあと感じて。

でもそのバランスがうまく溶けあって、容赦ない説得力になってたと思う。
データで淡々と、事実を突きつけていく、情緒だけではなく、理性にも訴えかけていく。

その情報量の多さは、何度も足を運びたくなるように、意図されたものだとも思うし。クラウドファンディングという制作事情とも合致してたし、自分でいろいろと制作背景、事実関係を調べたくなるという意味でも、映画の主題と合致していて、成功していると思った。

劇映画であり、記録映画。
ひとの記憶を刺激して、呼び起こす作品。
娯楽以上の意義がある作品が誕生したこと、きちんと評価されたこと、着々と動員を伸ばしていること、本当に良かったなあと思う、良いものを見れて良かった。

原作漫画を読んで、リンさんと周作さんの繋がりは、知りたくなかったような…そうだったのか、なるほどなと得心がいったり。ああ、あの手帳はそういう意味だったのか、と腑に落ちたりした。
リンさんがあの座敷童だったと察せたくだりで、十分しみじみできたので、周作さんとの繋がりまで突きつけられると偶然の一致が過ぎるような気がした、人間関係がぐるりと繋がりすぎて世界がミニマムに閉じてしまう気がしたので、カットの判断には納得いったな…再見したら感想は変わるかな。

でも、周作さんが一緒に人さらいにあったときの少年だったこと、映画見てるときは気付かなかったんだよな、原作漫画めくって、ああ!と膝を打った。観てる間はなんか、それどころじゃなかった。

オメデタのくだりも、あれ?そういえば子供は?と鑑賞途中で気付いて、勘違いだったのかな、と納得しながら見てた、
原作漫画を読んで、あっ、月経周期の狂いだったのね! でもだよね、ここまで当時の女性の暮らしについて語っておいて生理のときどうしてたかどうなってたかに言及しないの違和感あったもんね、と膝を打ったりした。

あー、早くも、もう一度見たくなってるなあ…

憲兵のシーンで泣けてしまったものなあ…間諜だ、って、すずさんが、そんなわけないだろう、「嫁とはいえこの家の者じゃない」と罵られ、苛立つやら悔しいやら、そして可笑しいやらで、笑いながら泣けてしまった。

そして晴美さんを失くしたすずさんは広島の実家へ帰ろうと考えるんだよねえ、周作さんがちゃんと引き留めてくれて、一度は広島へ帰ったらどうかねと嫌味を言ったことのある径子さんが惜しんでくれて、本当に良かったなあ、と思ったなあ。

すずさんはちゃんと居場所をつくれたんだよねえ。

すずさんと周作さんが夫婦になっていく過程の物語だったのが、本当に本当に良かった。初夜が終われば、なし崩しに女は妻の顔をしている、夫婦は夫婦になっている、そんな雑な描かれ方をしていないところが、本当に本当に良かったし、そのへんを雑に描いた作品が世の中には多すぎるのだと思った。

結婚してから、少しずつ相手を好きになっていく、その様子がとても尊いものに感じられて良かった。何度でも言うけど、周作さんがかっこよかった、ものすごく良かった…びっくりした。

彼、ちゃんとヒロインのピンチに駆けつけるし、救えなかったヒロインにもまっすぐ向き合うんですよね、私がヒーローに求める条件を満たしてくれていた。私は、ヒーローが自分の手で救いきれなかったヒロインに対してどう接するかどう向き合うかをこそ、見たいんだー! と気付いた。

"ふつうの女性"が楽しめる戦争映画、という気もした。

知人男性と話していて、どうして女性の多くは政治や歴史やミリタリーにあまり興味がないの? というか女性って、登場人物として女性が殆ど出てこない歴史の教科書を読みながらどんな気持ちなの?という話題が出たことがあって、
うーん、ひとによるとは思うけど、極端に言って、感情移入できる登場人物がいない小説を読んでる感じかなあ、だからこそ客観的に物事を知っていく側面もあるし、興味はモチロンあるけど、のめり込むには引っかかりが多いというか、特に戦争史は男性主体の物語だよね、などと答えたことを思い出した。

日本男児として、とか、貞淑な妻として、とか、性別的役割が強調された時代のはずだけど、見ていて過度なストレスを感じずに済んだ…これでもかと、描写はされてたけど、でもちゃんと、女性から見た戦争の映画だったと思う。

ハリウッドでも、男性原理ではない、女性原理で物事を物語ろうという動きがあるし、空前の女性映画ブームが来ていると思うけれど、その点、宮崎駿監督と片渕須直監督は一歩も二歩も先をいってるなあと、しみじみ思う。

なんというか"私達の戦い"が詰まってたように思う。

これだけは念頭に置いておきたいなと思ったのは、このころ、日本の女性には選挙権がなかったということ。選挙権があるのは25歳以上の男性だった。原作者のこうの文代さんは、先の戦争の、一般庶民の無自覚な加害についても自覚的な漫画家さんだと思うけれど、これは日本の女性が政治から切り離されていた時代の戦争で、そんな戦時下における女性たちの物語なんだと思った。

ひとごろし、と罵られたすずさん。戦争に負けたと聞かされて、心の支えがなくなってしまったすずさん。戦争から一番遠いところにいたはずなのに、いつのまにか戦争の只中にいたすずさん。

あの慟哭、本当に良かった。のんさん、すごい。ちゃんとすずさんの声だった。

映画ではカットされていたけれど、暴力で従えてきた、そして暴力に屈する、という原作のセリフの重み。

シリアでの虐殺のニュースとか、いろいろと頭をよぎったな、戦争によって日常を破壊されているひとはいまこの瞬間にもたくさんいるんだということ。そして、誰かの日常を破壊しているひともたくさんいるんだということ。誰かの日常を脅かそうとするひともいれば、誰かから日常を守ろうとするひともいる、でもじゃあ、どうやって守る?っていう。

戦争被害に遭うのはそりゃあ怖いが、戦争加害に目を瞑りながら鈍感に日常を過ごすことも私には難しそうだ。
とはいえ、この世界に生きてる限り、誰しもが誰かへの加害に直接的に間接的に関わってるんだろうなあ…
映画のなかで、敗戦直後に上がった旗、あんなにも身近に、息を殺して生きてきたひとたちがいた、
きっといまもいろんな理由で、息を殺して生きているひとたちというのは、身近にたくさんいる、そのことに本当に向き合えているのか?とか

どうなるんだろう、これから。勝てそうな戦いであっても首を突っ込まない理性を持ちたいなと思うな。
こちらに正義があるんだと勝ってるときは喜んで放ったらかしにして、負け始めて苦しくなってくると悔しがって不平不満を言って。それはヒトとして当たり前の感情かもしれないけど。
もう懲り懲りだ、それ以上も以下もないよ。メンツだのなんだの、知ったことじゃないよ、と思うんだけどなあ、私は…
生きてるだけで無自覚に誰かを加害してるんだから、積極的に自覚的に誰かを加害なんかしたくないよ、私は…そんな覚悟は持てない、持ちたくない、小まい、自分の、小まい、行いとその結果に、目配りするだけで精一杯だ…と思うのだけれど。

日常というのは暮らしなので、ひとが暮らしているところには、どんなところにも日常があって。空襲という人災でめちゃくちゃになろうが、地震という天災でめちゃくちゃになろうが、生きている限り、日常は築き直され、暮らしは続いてく。

生きている限り、すずさんの日常は続いていく。
生きている限り、私の日常は続いていく。

なにができるだろう。
なにができないだろう。

なにができても、なにをできなくても、生きている限り、

なんでも使うて、暮らし続けにゃならんのですけえ…

どんな日常を生きることになったとしても、息を殺して生きていくことになったとしても、できることをやっていかんとねえ。

エンドロールで、モガだった径子さんがワンピース(アッパッパというのかしら?)を再び着た姿に泣けてしまった。

もうねえ…ほんとにねえ…良い映画でした。たくさん笑ってたくさん泣いた。疲れた。でも、笑ったことのほうが覚えてる。

そうそう、下手っぴもいいから、絵を描いてみたいな、という気分になったな。自由な利き手で。いまの私はきっとなんでもできる。私にも私の居場所がある。ないならつくろう。つくればいいんだ。この世界の片隅に。

元気が出ました。
るる

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