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ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウンのKKMXのレビュー・感想・評価

4.0
 学生の時に『ブルース・ブラザーズ』を観て以来、ジェームズ・ブラウン(以下JB)に忠誠を誓い、毎日のように「アイフィルグウゥ!」「ウォォッチメ!ウォォッチメ!アイガッリッ」「ピカポンディス!ピカポンディス!」とスクリームしながら生きて参りましたが、ある日「俺はすでに一生分JB聴いたのでは?」と直観し、これ以上聴くと来世に影響が出ると決めつけてしばらくJBから遠ざかっておりました。
 本作はそのようなJBから距離を置き期に上映されていた作品なので、ミックの野郎が手がけていると知っていながら、「まぁJBの歴史結構知ってるし、レココレのJB特集はだいたい買ってるしな、伝記も読んだし」とタカを括ってスルーしていましたが、最近は「JB一生分聴いたなんて思い上がりもハナハダしいッッ!」と気づき、再上映の機会を逃さず鑑賞した次第です。グッゴッ!


 さて、JB。改めてドキュメンタリーで総括すると、ミュージシャンのカテゴリーじゃないですね。なんというか、チンギス・ハーンとか織田信長とかと同じ括りですな。芸術家ではない。超人です。わかっちゃいたけど。
 JBは1964年の『アウト・オブ・サイト』でファンクミュージックを生み出し、世界の音楽を変えたとのことですが(レココレ情報)、その頃はすでに大成功を収めていたんですねぇ。わかっていても、俺なんざ所詮レココレでお勉強したヒョロ二才野郎なんで、ギトギトしたショーマンとしてのJBの凄みをわかっているようでわかってなかったようです。
 1964年のJBスゲ〜わ!動きがすげえ。足技ありえねえ。マントショウもわかっちゃいるけどアガります。このようにとにかく関心を惹きつける仕掛けがすごい。ファンク云々以前に、ショーマンとしてすげえ。ミックの野郎がハマったのもよくわかる。この年のストーンズとTV番組で対バンしましたが、相手になんないですね当時のストーンズじゃあ。まだサティスファクション以前ですし(ただ、この番組はよくわかっている!何故かストーンズの映像にあのベーシストが映っていない!切られてやんの、ザマァ!ビルざまー!)。

 公民権運動との絡みもすごい。JB映画の感想文にも書きましたが、キング牧師暗殺の夜にツアー先のボストンでちゃんとショウをやって、ボストンの暴動を抑えたのはマジですげえ。ステージに上がる若者に「黒人の誇りを持て!」と説教して黙らすのはもはや英雄譚ですよ。ヒッミ!


 しかし、ボストン暴動を抑えたりしながらも後年のニクソン支持とか含めると、JBは黒人の地位向上については結構複雑な態度を取っていました。
 それはおそらく、JBは黒人という枠で考えていなかったんでしょう。よく『アメリカ人』という言葉を使い、貧困と教育の不平等を無くすことが大事と一貫して訴えてました。そして施しは不要だ、と。
 つまり、JBはそれぞれ人間は誰の助けも必要とせずに、誇り高く自立して生きるべきであり、そのためにはスタートの不平等をなくすべきだ、と考えているように感じました。なので、人種問題はサブカテゴリに属するのでしょうね。


 幼い頃に両親から捨てられて、極貧の中、売春宿で育ったJB。愛を渇望しそうなものですが、むしろJBは孤独を引き受けて、「孤独の何が悪い!ゲロッパ!」と突っ走った印象を持ちました。バンドメンバーのメルヴィン・パーカーが「JBのことは好きだが、それを伝えるとJBに利用される」とスゲ〜ことを言っておりました。JBは己のためになんでも利用して搾取する元祖ブラック企業と言えますね。終生人を信用しなかったそうですし。

 そんなJBが求めていたものはリスペクトです。愛ではなく敬意。ナメられないこと、ひとりの人間として尊重されること。黒人、極貧、両親不在という環境でサバイブしてきたJBは、リスペクトが欲しかったのでしょう。常に自分をミスターと呼ばせ、バンドメンバーにスーツを着せていたJB。自分と自分のバンドへの敬意を求め続けた人生だったように思えます。
 情緒的なつながりは、JBにとってまったく経験が無かったので、もしかしたら単にピンと来ないものだったのかもしれません。メンバーが口を揃えて「JBは石のように冷たい」と言っていたのが印象深い。まさにJBは元祖ストーンコールド!ヘルヤー!しかしスタナーを食らわしたいのはむしろバンドメンバーか……


 しかし、観ていて疲れましたね。JBの緊張感を強いる生き方はなかなかにシンドい。あの人生を生き切ることができたのはJBという超人だからでしょう。メタルとかパンクとかは今聴いてもぜんぜん大丈夫なんですが、JBは長く聴くと疲れます。やっぱり一生分聴いたのだろうか?メイシオ!メイシオ〜!
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