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夜明けのすべてのKKMXのレビュー・感想・評価

夜明けのすべて(2024年製作の映画)
4.8
 自分にとって最重要監督のひとり、三宅唱の新作なので優先的に鑑賞。いやいやいや〜素晴らしすぎ!ホントに素晴らしい!前作『ケイコ 目を澄まして』に勝るとも劣らない傑作ですよ。しかし、『ケイコ〜』も本作も原作アリなのに、手触りがめちゃくちゃ近しい。両方ともミヤショー印のガーエーにバッチリ仕上げていて、グゥの音も出ないほど感動したし感心しました。

 本作を観ての感想は『生を慈しむ映画』。ミヤショーが監督してるワケですから上っ面の癒しポルノなワケがありません。しっかりした根拠が描かれており、凄まじい強度で迫るガーエーです。


 街の零細企業、栗田科学。この会社に山添という男がやってきます。彼は一流企業で働いていたが、パニック症を発症し、栗田科学でリハビリ的に働くことになりました。この会社には、藤沢という女性社員がいます。ある日、彼女が突然キレて、山添は被害に遭います。実は藤沢、PMS(月経前症候群)を持っており、生理前は感情が爆発してしまうのです。藤沢はその後山添に謝罪し、そして山添がパニック症で苦しんでいることを知ります。すると藤沢は、ちょっとおせっかいなテイストで、山添をサポートしようとします。山添は迷惑に感じつつ、やがてPMSで苦しむ藤沢のサポートもしたくなり、PMSの本を読んで研究し始める…という話。


 本作の中核にあるのは利他性です。藤沢も山添も、別にいい人みたいな感じはなく、まぁ普通の人たちです。さらに言えば、栗田科学の社長や社員たちも、サラッと困っている時に自然とサポートするようなタイプでした。山添は前の職場に戻ろうと考えており、上司とやりとりしてるのですが、この上司もまた山添に寄り添った対応を続けるんですよね。
 で、特に誰も見返りを求めていない。「困ってるから手を差し伸べただけですけど何か?」的な自然さがあるんですよ。これが本作のヤバいところです。中盤で山添がPMSに苦しむ藤沢をサポートしようとする時の会話なのですが、「イライラが出る前にサポートできると思う」と山添が言うと、藤沢が「それって私の生理の周期を知ってるってことでしょ、キモ〜」みたいに冗談ぽく返すのです。これって、支え合うことが完全な日常になってることの証左です。コーヒーを飲むように、スマホをチェックするように、他者に手を差し伸ばす。これが本作の世界観です。

 これだけ見ると「は?何これ、ファンタジー?人間ってもっと自分の利益を考えて生きるんじゃないの?」と欲望と自衛にばかり囚われて惨めに生きている現代人なら感じそうですが、まったくファンタジーには思えませんでした。リアル。


 じゃあ、なんでリアルなのかというと、登場人物たちが、日常生活の大切さとそれがすぐに崩れ去ることを熟知しているからではないか、と考えられます。だからこそ、日々を暮らせることへの感謝が自動的に生まれるのだと思います。
 そして、その背後にあるのは、藤沢や山添、さらに栗田社長や山添の上司らは皆、困難を抱えていたり、大きな喪失を体験していたりしているのです(栗田社長と山添の上司は共にきょうだいを自死で亡くしている)。しかも、それらを乗り越えるというよりも、痛みを抱えて共に生きています。
 ポイントはここなんですよ。痛みを知るが故に、他者や世界への想像力を獲得してるのです。その想像力が故に、自然と他者に手を差し伸べられる。道徳とか倫理とかではないんですよね。そして、おそらく『人は誰もが傷ついている』ことを、皆直観しているのだと思います。

 生きることって大変ですよね!傷つくし、試練がどんどん降りかかってくるし、乗り越えられない痛みとか悲しみとかあるし。しかし、それでも我々は生きていく。
 それ自体が奇跡みたいなものではないか、毎日の生活を営むこと、それ自体がとてもすごいことなのではないか、このような想いが、本作に通底しているように感じます。


 そして、生きることは決して傷つくことばかりではないです。日常を営んでいると、人と人とが触れ合い、通じ合い、支えあったりする瞬間がふと訪れます。本作はその瞬間を最大の煌めきを持って描いているのです。
 物語の後半、栗田科学が移動式プラネタリウムというのをやっていて、その解説を山添が書くことになります。なかなかうまく書けないのですが、亡くなった栗田社長の弟が吹き込んだテープを発見し、それを聴いて、山添は解説を紡いでいきます。これは、時を超えた触れ合いと言えます。生者と死者、もはや関係ないというスケールと煌めき。ホント、世界を肯定したくなりますね!

 本作は星空と夜明けが重要なモチーフになります。本作を観ていると、星空と夜明けが、人々の営みとリンクするな、と感じました。
 藤沢、山添、栗田社長らはみんな困難を抱えて生きており、ある意味、夜を生きているとも言えます。確かに夜はなかなか開けません。栗田社長は弟を亡くして20年くらいグリーフケアのピアサポートに通っています。もしかしたら、夜が明ける前に命が尽きてしまうかもしれません。
 しかし、夜だから真っ暗というわけではないです。空を見上げれば、星が照らしてくれますし、北極星が道標にもなっています。
 そして、誰もが傷ついて、誰もが夜を歩いていることに気づきます。だから、隣を歩く人に手を差し伸べることもできます。すでに亡くなってしまい、星になった人から、奇跡のようなメッセージを受け取るかもしれません。
 だから、人は夜明けに向かって歩いていけるのだと思いました。本作は希望の映画なのです。

 
 自分にとってミヤショーは超重要監督で、日本の現役監督だと、空族の富田克也は別格としても、あのハマと同格レベルの存在なんですよ。しかし、これまでミヤショー映画を言語化できなかった。しかし、ついに今作で言語化できました。
 作品の背後に胎動しているもの、それは生きていく人たちの痛み、そして痛みを抱えつつも生き続けることで生じる、稀にかもしれないが奇跡のような人と人との通じ合い、触れ合いの煌めきなのではないか、と。この有り難き瞬間こそが、生きる希望なのかもしれないと感じました。おそらく『ケイコ 目を澄まして』も、この感覚があったのではないか、と感じました。
 本作も『ケイコ〜』も原作付きなので、この生を慈しむ感覚は両者の原作に通じたものなのかもしれませんが、ミヤショーはたぶん元々この感覚持ってるようにも思います。ミヤショー初期の名作『Playback』も、観終わったときに感じたのは感謝でしたから。やはりこの感覚、ミヤショーの根っこにあるように感じます。生きることは厳しく、大小違いはありつつも、痛みを抱えながら人は生きざるを得ない。だからこそ、慈しむことができる。この感覚、本当に心に染み入ります。
 いまだに自分は『ケイコ〜』を思い出すだけで涙ぐみます。厳しさと共に生きるが故に生じる、人間の本質から生まれるヒューマニズム(文字通りだね)が、あの岸井ゆきのの眼差しを通じて、自分の心にダイレクトに届くのでしょう。


 ミヤショー最高ですね、最高。ホント、ホント、本当に最高です、最高ッッ!
 
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