Oto

シン・エヴァンゲリオン劇場版のOtoのレビュー・感想・評価

4.2
同時代に終劇に立ち会えて幸せだった。多くの人にとってもはや人生とも言えるような作品だから、新参の自分が…と思ってたけど、創作観や家族観が変わるような体験になった。

「欠けていた父親を肯定したかった」と監督自ら言っていたけど、まさに理解できないものとの対立から始まり、倒して問題を解決するのではなくて、自分と同じ痛みを持っていることを知って共存していくことを選ぶ物語だったのが、TVシリーズや旧劇場版より何歩か踏み込んでいる印象を受けてすごく感動した。これで卒業なのはわかっているけど、人生の節目で何度もループしたいと思ったし、初めから一緒に歩んできたファンが羨ましい。
父親との確執が元になっているという『帝国の逆襲』を思い出したりした(Qのシンジの話の通じなさにもアナキンと似たものを感じた)けれど、代表作とか集大成ってまさにこういうものを言うんだろうなぁ。人生で一度は自分の分身みたいな仕事を作れたらいいなぁと思いつつ、命を削って血を流して作っている様子を見てしまうと覚悟を問われる。本作序盤でPTSD&失語症になっているシンジは完全に鬱の自分を投影していると思うし。「赤裸々」っていうのは作家性を言い当ててるな〜と思う。

自分は家庭に対して大きなコンプレックスはない(と思っている)けど、やっぱり幼少期や学生時代の環境って人格形成の大部分を占めていると思うし、ゲンドウが知識とピアノを愛したことにも性格的な理由があったように、同じく知識や音楽を愛してきた自分の中にも確かに孤独が存在していて、それ故に孤独を持つ人に惹かれている。
父が家庭で寂しかった反動でフリーランスでいつも家にいたこととか、母の家庭が厳しくて自立を強く求められていたこととか、もしかしたら隔世的にさえも自分の性格に影響している部分はあるかもしれないと思ったし、水泳部の練習の強制感が自分を苦しめたこととか、ピアノをたくさん練習するとご褒美がもらえたこととか、幼少期って分析しがいがあるな〜って気づいたので、時間作ってやってみたい。

父親と闘いながら舞台が変わっていくシークエンスはエヴァシリーズの走馬灯を見ているようで、壁が剥がれてセットだと分かる仕掛けを含め、すごく感動したんだけど、ゲンドウがATフィールドを作ってしまう展開は特に気づきがあって、壁はどちらかが一方的に作るものとは限らなくて、自分が怖いと思う誰かは同時に自分を怖いと感じているのかもしれないし、寂しさも怒りも常に「相補性のうねり」なんだろうと思ったりした。

キャラ別で見ると…成長しているトウジと相田、息子を通したミサトとの和解、無理やりな愛情がシンジを救うアスカの危うさ、ユイの元同僚で安野さんを重ねているというマリが母親の代理という呪縛から解放されること、正体はゲンドウ説もあるカヲルと梶の会話、二度の「これだから若い男は」、本当にどれも魅力的な関係性ばかりで、小ネタとかを拾っていたらいつまでも語れるし、情報量が多すぎて一度目では感動しきれないもどかしさすらもあったのだけど、やっぱり綾波が良すぎて、自分にとってのエヴァは最後までシンジと綾波の物語だったように思える。おはよう おやすみ ありがとう さようなら。

第3村のアヤナミは、今まででも最も魅力的な綾波を見ていると思ったんだけど、名前とか風呂とか洋服とか感情とか、あらゆるものに新鮮に感動できる存在ってどうしてこんなに愛おしいんだろう。やっぱり人間って本質的に非効率で不確かな余白を愛しているのかもしれない。つい最近も単調な日々に少しでも変化が欲しくて、照明や配置が毎日変わる部屋作れないものかとか話していたけど、老後は農家やりたいな〜という人たちの気持ちが初めてわかった。
録音ブースが村のようだったという林原さんのエピソード込みで好き。『E.T.』『PK』のような異生物との交流ものにも近いと思うけれど、Q以降の不幸な展開も効果的だったんだなと感じられた。
「そう。でもいい。よかったって感じるから」はほんと素晴らしい。それこそ人って親とか周りの人がいて初めて形成されるもので、本当に自分自身で選んでいるものなんてあるのかはわからないけど、そんなのはあくまできっかけだと割り切って、先があるかもわからない中で自分の意思を肯定してあげるという強くて弱い人物像がすごくすごく魅力的に見えた。この世はおまじないに溢れている。

「涙で救えるのは、”自分”だけだよ。」も最高。辛い時に思い出したい言葉。いつまでも独りで世界に絶望しているシンジは側から見たらムカつくけれど、普段の自分を省みるとめっちゃシンジだったりする。いいから早くやれよ、って冷静なときには思えるんだけど、そう思い通りにならない。
 
あと、先にプロフェッショナル観て本当によかったな〜と思った。理解が助けられたのもあるんだけど、作品を観る解像度が全然変わった気がした。
宇部新川駅(実際は電車が存在しないので幼少期の記憶らしい)とかモーキャプをやっていたスタジオが登場したり、コンテのままのシーンが今回は時間が足りないからじゃなくてよかったな〜とか、「さようならすべてのエヴァンゲリオン」の採用テイクが違ったお得感とか。
「アングルがキマってれば静止画でもいける」もすごく実感して、なんか物足りなく感じてカメラワーク取り入れたり、芝居で奇を衒いたくなるのは、どこか前提で間違っているのだと気付かされた。冒頭の振り返りをあのテンポで作れるのもエヴァだけでは...。

そもそも8年間待たせている中で、その期待とプレッシャーに打ち勝って、作品のために密着を許して、完成して世に送り出すなんてことは、常人の精神ではできない。ルーティンを壊してプリヴィズなんてものを取り入れたり、出来上がった脚本を何度も壊したり、誰かを傷つける苦しみを背負ってまでも自分を曲げずにいられる人が作家なのかもしれない。その分スタッフロールには愛を感じたし、試写から出た時に涙を流しているスタッフ陣をみてすごく感動した。

だから、廃人に近い状況からヴンダーに戻ったシンジも、優しさと拒絶を同時に抱えているシンジも、そのまま監督に見えた。エヴァに乗るしかなかった人。
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