しおえもんGoGo

シン・エヴァンゲリオン劇場版のしおえもんGoGoのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

私はエヴァの世界観とかほとんど分かって無い、新劇場版しか見てないライトユーザー。エヴァはヒントだけがあちこち散りばめられ、みんなが考察を繰り返すことで世界が広がっていくものだという認識がある。(と同時にファンがコア化して新参者を阻む)
序と破はそういうコアな部分は私の中では「何か分からんけど色々ある」で片づけたとしても楽しめたが、Qはそれでは済まず、ディープな考察はしない層にとってはフラストレーションだけが溜まる作品になっていたように思う。
しかしこのシンエヴァはますます意味不明な部分はあるものの、そこは横に置いておいて長いシリーズ(私にとっては四作目だが)の終わりとして十分楽しめた。
もちろん今回も鑑賞後に考察サイトにお世話になったけど。

全体として、突然大人の都合で現実に振り回された少年が反抗期を迎え、紆余曲折あった末に成長し、ついに自分の前に壁となっていた父親(理不尽な現実の象徴)と対峙して乗り越え、大人になっていくという話として見ることが出来た。

生き残った人々が作る牧歌的な村での生活があったのはとても良かった。序の時点では世界を背負って戦うシンジの方が少し大人で、何も知らない14歳のトウジとケンスケ達は子供だった状態から、14年という歳月を経て立派な大人に成長した彼らと眠り続けていたシンジは立場が逆転している。「エヴァに乗って戦争する」という事だけが戦いではなく、「日々の糧を得て家族を持ち、助け合って暮らし、人間としての社会を維持しようとする」という事もまた戦いであり、彼らもこの14年間戦い続けてきたのだ。自分だけが戦わされて辛いといじけていたシンジがようやく広い視野を持ち、現実を見て立ち上がるというのは感動的だ。またシンジを見守り、自力で立ち直るのをじっと待ち続けたトウジらの大人としての度量の1/10でもQでミサトさん達が持っていたらこんな事にはならなかっただろう。

またミサトさんの最期も柔らかな表情も、息子の巣立ちを見守る母親のようだ。

まさかマリとくっつくと思わなかったけど、アスカとケンスケはとてもいいカップルだったし、実写の駅の映像にアニメの人間が小さく書き加えられているラストショットも、彼らが今私達が暮らす同じ日常に戻れた姿のようで良かったと思う。

なんだかんだ言って私のエヴァ歴も長いわけで、あのシンジが大人になったなあと親戚の子供を見るような感慨を覚えた。

さよならジュピターの曲が挿入されたのが非常に懐かしかった。
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