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素晴らしきかな、人生のKamiyoのレビュー・感想・評価

素晴らしきかな、人生(2016年製作の映画)
3.0
素晴らしきかな、人生(2016)

原題の「COLLATERAL BEAUTY」(“幸せのオマケ”)からはかけ離れた邦題だけど
「愛」、「時間、「死」。この3つのテーマが広告代理店経営として最も重要なテーマであると経営者として生き生きとした姿で社員に落とし込むウィル・スミスが見られるのは冒頭の数分間だけというのはある意味で貴重かもしれない。

数年後、娘を亡くしたハワード(ウイル・スミス)は会社経営どころか生きる気力もなくしたまま抜け殻のような暮らしをすることになる。会社ではドミノを無心に組み立てうつ病のような姿はもはや冒頭の生きた顔を一瞬にして忘れてしまうほど。

ハワードが働けないなら、評価の高いうちに会社を売ってしまおうとするホイット(エドワード・ノートン)だったが、ハワードの同意が必要でこれに対してもハワードは何もしようとはしなかった。そこで探偵を雇いハワードが正常な判断が出来なくなっている証拠を示し、彼の同意なしでも会社を売れるよう画策する。
ハワードがポストに投函した手紙の宛先が「愛」「時間」「死」であったことから、小さな劇場の劇団員にハワードに接触してもらい三人でそれぞれ愛、時間、死を演じるよう依頼する。ハワードは手紙の宛先である愛、時間、死から接触され動揺し、子供を亡くした親たちの集まりを訪れる。しかし会を開いているマンデリン(ナオミ・ハリス)という女性から亡くなった娘の名前を聞かれても答えることが出来なかった。
後日再び愛、時間、死の接触を受けたハワードは怒りに震え胸の内をさらけ出すのだった。しかしそれを探偵が撮影していて、画像処理で役者を消した映像を見せられ、判断能力がないと突き付けられるが、ハワードは会社売却の書類にサインし去っていくのだった。そしてマンデリンのもとを訪れ、彼女が実は別れた妻で、娘の死をきっかけに別れたがお互いまだ愛し合っていることを確認し、ようやくハワードは娘の死を受け入れ二人で過ごすのだった。

最後は、なるほど…とは思うものの、無理矢理なところがあったりするので、どうしても釈然とせず受け止めきれずに、うぐぐ…という気持ちで終わった。
色んな箇所で、Aという見方とBという見方と、あとあとFという見方もあるよ!と提案されている感じで、キャパの狭い自分には感情移入の持って行きどころがわからなくなるところが多かった。
もっと多角的に観られれば良かったのかも。

子供を亡くした親の気持ちはわかりませんが、いくら辛いからといって会社の代表である人間が半年も会社でドミノをやっているのはどうなのよ!?
社員にも家族がいる訳で、社員を路頭に迷わせてはいけませんな。

誰もが注目するのは豪華に構成されたキャスト陣。ウィル・スミスを筆頭に同僚3人はエドワード・ノートン、ケイト・ウィンスレット、マイケル・ペーニャ。劇団員からはキーラ・ナイトレイやヘレン・ミレンが熱演している。だが、ここに関しては宝の持ち腐れのような無駄遣いという印象が強い。各々の個性を出し切れていないまま小出しで使うという消化不良感が不快に感じてしまう。

(ウィルはやっぱり笑顔が似合う。彼の仏頂面は観てるだけで辛い)
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