フラハティ

ハッピーエンドのフラハティのレビュー・感想・評価

ハッピーエンド(2017年製作の映画)
3.7
家族にとってのハッピーエンド。


「近年SNSは教会の役割を担っている。」
自分の近況、自分の思想、自分の交遊関係、自分の愚痴…。
または懺悔や相談など、身近な人間ではなくとも、まったく顔も名前も知らないような相手に語っている場面は少なくはない。
それは決して悪いことではなく、むしろ溜め込んでいるよりも良いことであるのだ。
だが一線を越えてしまえば、身近な人間との関係性はみるみる薄くなっていく。たとえ家族であっても。


登場人物をカメラで遠くから捉え、ある風景の一部として第三者の目線をはっきりとさせるお馴染みの構図も多々あり。
切れ味の鋭さや、毒気はちょっと影を潜めたようには思えるけど、皮肉的な描きは変わらないしこの人の視点は誰もが共感できるはず。

本作の焦点は、“無関心”と“現実が現実ではなくなっている”ということ。
わかっているようでわかっていない身近な物事。
今の時代はどうなっていくべきなのか。
新しくこの時代に迎えられる少女と、意味のないこの時代に終わりを迎えたい老人の対比。
同じ人を殺めた経験を持つが、明らかにその背景は違っている。


ネットが発達した今こそ、人と人のリアルな繋がりが減ってきている。
近親者への無関心。
現実の出来事への無関心。
結局自分さえ良ければいいのだ。
形だけ家族を心配しているような素振りをしていればさ。

SNSは自分のことを発信するもの。
そしてその力は、自己欲求を満たしていく。
もちろん良いように進んでいくこともあるが、一歩間違えば利己的な考え方を培っていく。
ネットで関わり合う人たちも、自分の考えと似たような人ばかりであれば、思想も偏り、他人を思いやることや相手の立場を考えることを忘れてしまいがちになる。

SNSは決して悪いものではないという前提で。しかし現実に無関心になってはいけない。
自分の人生がSNSのためだけ(自分中心)にならないようにするべきだ。
自分の人生だから何をしてもいいというわけではなく、誰もの人生を考えていくべきである。
表面的ではなく、利己的ではなく、相手のことを考える。

昔から、自己中心的な生活になってしまうというのはよくあったりするだろうが、ネットやSNSというのは、その要因を加速させているような気がする。
現代では移民問題をはじめ、他者との関わりがすべて平等とはなっていないし、拍車をかけるようなメディア社会ではやはり難しいことなのか。
これからの未来はどうなっていくのか。
これまでの世代と新しい世代は、上手く調和を保つことができるのか。


画面越しに現実をみていれば、それはフィクションだと感じられる。
実際の現実をハッピーだと勘違いできる。
現実を感じないことこそハッピーであるならば、そんな人生はエンド。
そういった意味のハッピーエンドなのか。

このラストは誰にとってのハッピーエンドなのか。
もしかして監督自身にとって…?
フラハティ

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