KouheiNakamura

映画 聲の形のKouheiNakamuraのレビュー・感想・評価

映画 聲の形(2016年製作の映画)
4.5
わたしなど、裂けてもいいの。


週間少年マガジンで連載され話題になった作品の映画化。原作は全7巻。映画を観た後に原作を読破したが、一本の映画にするために削った部分は非常に的確だった。足りない部分を補うのが、映画ならではの言葉に頼らない演出なのが素晴らしい。

小学生の頃。まだ物心ついて間もない頃。なんとなく、好き嫌いが明確になり始める頃。主人公の石田将也は“我が時代”を謳歌していた。自分はなんでも出来る、なんにでもなれる。根拠のない自信に満ちた彼の前に現れたのは、転校生の西宮硝子。彼女は聴覚障害者だった。初めは彼女に協力的だったクラスメイトたちが次第に彼女を疎ましく思い、仲間外れにしていく。石田将也は、そんな彼女を率先してからかっていく。しかし、いつしか彼にもいじめは行われるようになり…。
映画序盤の小学校時代は、観ているだけでも胃がキリキリするような場面の連続だ。痛い。辛い。苦しい。観ている観客がそれぞれの子供時代の痛みを思い出してしまう作りになっているのが非常に巧妙だ。はたして自分があの教室にいたとして、あのいじめが止められるのか?そんな疑問が頭の中に浮かんでは消える。小学校時代の場面は、主人公石田将也にとって苦い後味を残したままで終わる。

ここまでで話が終わるのであるならば、この物語は単なるいじめ問題についての話として終わっていただろう。あるいは、聴覚障害者への接し方についての問題提起として。しかし、この物語はそこで終わらない。
石田将也は高校生になる。その胸に、小学校時代の苦い記憶を引きずったまま。彼はまともに人の目を見て話すことの出来ない人間になっていた。そんな彼がなけなしの勇気を振り絞って、ある人物に会いに行く。実はこここそがこの映画のプロローグにあたる場面だ。石田将也は、成長した西宮硝子に会う。そこから、この物語が本当の意味で動き出す。

それは贖罪の物語でもあるし、コミュニケーションについての物語でもあるし、青春の一ページでもある。優れた物語は、単純に言葉では言い表せない感情を与えてくれる。
アニメーションとしての素晴らしさも言うに及ばず。人間臭く、しかし愛に溢れたキャラクター造形。繊細すぎるほど繊細な演出。光、音、空気感。ありとあらゆる箇所に作り手のこだわりが感じられる、そんな一本だ。

しかし、ここまで絶賛しておきながら僕はこの映画に満点をつける気はない。なぜならこの映画は完結していないからだ。物語が、という意味ではない。エンディングはしっかりと用意してある。この映画は色々な問題を描きはするが、明確で単純な解答を用意していない。そこに悩み続け、考え続けていきたいからこそ僕にとってこの映画は未完のものだ。
これからも大切にしていきたい映画です。オススメします。
KouheiNakamura

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