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映画 聲の形のKKMXのネタバレレビュー・内容・結末

映画 聲の形(2016年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

 映画を観てから原作を読んで、もう一度観ました。そして、紛れもない傑作だと感じました。
原作が大変濃いためさすがにキャラを完全に描ききれませんが、十分伝わる描写だと思いました。
(ただし、硝子ママと真柴は除く。原作の硝子ママと鬼畜元ダンナ一家とのエピソードはなんとかねじ込んで欲しかった)

 石田も硝子も自分のせいで、と自分を責めてしまい、そこから中々逃れられない。でも、この自責ってひとりよがりで、自己否定してるだけ。過去と自分にばかりに気持ちが向いて、基本前に進まないです。
 石田は手話をマスターするなど、硝子を想い行動しており、それは前に進めています。が、根本では自分が悪い、アイツを(みんなを)傷つけた、だから自分は幸せに生きる価値のない人間だと信じている。
 硝子に至っては障害と母親との関係によって、石田以上に根深く自尊心が低い。自分が周囲に災厄をもたらしていると思い込んでいる。悲しすぎるよね、自己肯定なんて出来るわけない。
 そんな風に「どうせ自分なんて…」って気持ち囚われているが故に、相手を想っていても、最終的には相手に気持ちが向けられないのだ。だから決定的にクラッシュしちゃうんだと思います。橋の上のシーンとか、花火大会のシーンとか。

 でも、気持ちが自分から他者に向くと、大きな変化が起こり得る。友だちとの情緒的なつながり(永束とか佐原ちゃんとかユズルとか)が少しずつ進んでいき、その下準備はできていたけど、変化のトリガーは転落事故でしょう。
 事故をきっかけに2人は互いに想い合えるようになったように見えます。やはり、あの事故で自己嫌悪に囚われていた2人は象徴的に死に、生まれ変わったのだと思いました。
 2人の口ぐせ(?)の「ごめんなさい」ですが、転落事故の前後で意味が違ってきます。以前は自分を卑下したりごまかしたりする言葉でした。しかし、事故以後は互いに未来を創るための過去の総括としての「ごめんなさい」になったように感じました。気持ちの向き方が過去から未来、自分から他者にシフトできたのです。だから石田は「生きるのを手伝ってくれないか」と言えたのではないでしょうか。ここは本当に感動しましたね!

 植野も罪悪感と後悔を感じているけど、自責ではなくなんとか打破しようともがいているように見えました。でも、衝動的だからなかなか上手くいかない。
 植野は彼女なりに硝子とガチで向かい合おうとしているため、酷い感じだけど硝子にとっては嬉しいんでしょうね。植野の粗っぽいけど誠実な姿勢は胸を打たれました。植野キュートです!
 原作既読者にとっては不意打ちであるラストの手話での「バカ」のやりとりは幸福すぎてウルっときました。ノーサイドって感じで、サラッとだけど本当に感動的なシーンだった。

 序盤のいじめ描写はキツかった!だが、リアルなので目を逸らせない。確かに、やったことは自分に返ってくる、はその通り。でも、教師の態度が事態の最悪さに拍車を掛けている。あいつの態度で石田の自尊心は決定的に傷つき、さらにいじめの連鎖が起きてしまった。友情も壊れ、植野も罪悪感を抱えて生きるハメになってしまった。あの態度にはひどくムカついたし、すごく考えさせられました。
 他のレビュアーさんが書いていらっしゃいましたが、教師や親にこそ観てほしい映画です。

 サブキャラは川井以外魅力的に感じましたが、特に佐原ちゃんが最高だった!原作よりも元気で明るい印象。カラオケのシーンは原作より良かった。
 石田ママと西宮グランマもしなやかで本当に強い大人って感じで素敵だった。
 aiko師匠のエンディングテーマも相変わらずの感じながらも(笑)、グッときました。
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