あなぐらむ

ジェイソン・ボーンのあなぐらむのレビュー・感想・評価

ジェイソン・ボーン(2016年製作の映画)
3.9
BSテレ東「シネマクラッシュ」で新装吹替版を鑑賞。
前作「ボーン・アルティメイタム」のレビューはこちら。
https://filmarks.com/movies/28749/reviews/133748164

間に番外編となってしまった「ボーン・レガシー」を挟んでのポール・グリーングラス復帰による本家ボーンシリーズ。当初は「レガシー」のアーロン・クロス(ジェレミー・レナー)も合流するような話もあったので楽しみにしていたのだが、それは叶わなかった。「ボーン・レガシー」自体が原作の作者も違い(ラドラムが亡くなって以降は別の人が書いているというのは「007」と同じ)、シリーズの脚本を手掛けてきたトニー・ギルロイ監督が自分の持ち駒だった「ボーン」を自身の解釈で作り直したような映画だったが、やはりマット・デイモン=ボーンの印象は強かったのか、興行的な問題だろうか、本家が戻ってきた。この辺、ショーン・コネリーとロジャー・ムーアとかの007本家争奪みたいな感じもしないでもなく、たった数作でその域に達してしまった事に「ボーン」シリーズの凄さがある。

大味で派手な「為にするアクション」ではなく、観客をライドさせる「臨場感のアクション」へと、ボディアクションの「見せる」技術を押し上げた本シリーズは、ダグ・リーマンの第一作「ボーン・アイデンティティー」ではまだテンポの悪い部分があり、情感が勝っていたところがあるが、「スプレマシー」、「アルティメイタム」と担当したポール・グリーングラスの徹底的にキャストのそばに寄り添う(落ち着かない)ショットと細かい編集の連鎖によって、観客をその場に立ち会わせ続ける。
実際には「自分は誰なのか」というシンプルな物語を、世界を転々とさせてずっと見せて行く。基本追跡劇であり、それ以外の要素が無い。それが観客が求めているものだから。アクション映画における無駄な部分(正義がどうの、恐怖がどうの)を削ぎ落した純米60%カット!みたいな「動作の記録」を役者の肉体でもってやる事。それはトム・クルーズが最後に辿り着いた地点でもある。キートンやロイドがやって来た事を、新しい技術と一流のスタントでやっていく。本人もやる。そういう映画である。

今回はボーンの本当の姿、出自と原点であるトレッドストーン計画の本質に迫る内容とはなっているが、これはシリーズの「語り直し」であるのは否めない。作っている方もそれを充分承知しており、よって途中でジュリア・スタイルズを退場させる。ちょっと可哀想な扱われ方ではあるが。そして新ヒロインとなるアリシア・ヴィキャンデルは、一見ボーンに好意的な「理解者」に見せておいて、今までとは逆手を打ってくる。彼女のメンタルのタフネスに、アップデートせざるを得ない女性像、ヒロイン像があるのかもしれない。
時代を反映したものか、本来ならば好敵手になるべきヴァンサン・カッセル(老けたね)も呆気なく倒れ、前半から中盤にかけていかにもな芝居を見せ楽しませてくれるトミー・リー・ジョーンズもあえない最後。ここに一切の感傷が無いのが素晴らしい(映画としての齟齬を作らないという意味でね)。

若干尻すぼみのまま、お話はMOBYのお馴染みのテーマ曲でフィナーレとなるが、テレビ放送の為端折られてしまい残念。ここはエンディングまで聞きたかったところだ。とは言え「ボーン以前/以後」とも言われ、本家007もそれっぽい話を延々とやってしまっている所に、本シリーズがアクション映画の一種マイルストーン的な位置にある事を物語っているだろう。