ちゃんちゃん焼き

マンチェスター・バイ・ザ・シーのちゃんちゃん焼きのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

アカデミー脚本賞、主演男優賞以外の前情報全くなしで観に行き、フライヤーを見ても全くどんな映画かわからずで、それが逆によかったのかもしれない。現在と過去の映像が交互にあらわれ、始めどの時間軸なのか読み取れないのだが、段々と過去が形作られていく。「あのリー」と飲み屋で言われた意味がわからず、パトリックがどんな子どもなのかわからず観て行くと、突然の悲しい出来事に遭遇することになるが、それよりもつらい過去をリーは背負っていた。

非常によく出来たプロットだった。甥のパトリックと、兄を亡くした(つまりパトリックは父を亡くした)リーが、マンチェスター・バイ・ザ・シーで共同生活を始める。甥の後見人となったリーはこの場所に留まることを嫌がる。その意味を、パトリックは理解出来なかったし、自分の生活が大事で、二股中のガールフレンド、高校、ホッケー、バンド、いろいろなものを置いてまで、叔父のリーのいるボストンに移りたくない。リーは、どの女性とも話をせず、笑顔も滅多に見せない。過去の映像では、あんなに明るくひょうきんな父親だったのに。その原因は何なのか、次第に知ることになる。寒くなった室内で暖炉をつけ、そのままコンビニへ行ってしまったのだ。かわいい子どもたちは二階で寝ていて、火事に巻き込まれた。命からがら、消防員に助けられた妻は、夫をこれでもかと批判した。批判の場面は描かれない。ただ、過去を回想する妻との会話(この場面は印象的だった)でそれが明らかになっただけだ。暖炉に火をくべた場面も、兄が死んだ現場も、何も映っていないのに、観ている側はそれを想像するだけで十分なくらい、悲痛だ。「乗り越えられないんだ」とリーは泣いた。その時にはじめてパトリックは、叔父の苦しみを知る。子どもだったパトリックは、叔父のことをわかっていなかったのかもしれないし、自分のことで精一杯だったのかもしれない。最後の釣りのシーンはお互いの顔も見せず(リーが部屋に置いていた三枚の写真立ても一度もこちらに映されることはなかった)、いい映画を観たという余韻に浸れた。

叔父と甥の微妙な距離感が心地よく(時にランチ代やアイスがほしいからといってせびる甥は子どもらしくてかわいい)、ガールフレンドとの関係にも理解を示す叔父の言葉には笑えた。笑えるけれど泣ける映画、泣けるけれど笑える映画、わたしは笑える、にあえて重きをおきたい。

マンチェスターと聞いて、はじめはイギリスの映画かと思った。パトリック役のルーカス・ヘッジズの細い身体と少し皮肉めいた性格は、イギリス人を思わせたし、ケイシー・アフレックの演技は少し湿っぽく、人物相関図の複雑さも、明るいアメリカとは程遠い湿度があった(が、車線やボストンという地名、ドル、発音、もろもろのものでやはりこれはアメリカ映画とわかるのだが)。この地味とも言える作品が評価されたのは、映画の実力が評価されたようでうれしく思えた。

ケイシー・アフレックがアカデミー主演男優賞を受賞した経緯は様々あるだろうが、これをプロデューサーであるマット・デイモンが演じたら、少し違ったかもしれない。マットがケイシーに役を譲った、というところまでが経緯だとすると、それもまた映画のようだなと思った。授賞式で主演男優賞を受賞した瞬間、マットが両手を振り上げて喜び、兄のベンがケイシーを抱きしめたのは印象的だった。