あーや

田園に死すのあーやのネタバレレビュー・内容・結末

田園に死す(1974年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

寺山修司と三上寛と花輪和一がクレジットされている奇跡的な映画「田園に死す」を見て暫くは作品のショックから抜け出せませんでした。
死者と再会できるという青森県は恐山が舞台。東北独特の閉鎖的且つ土着的なアングラ感で満ちているのに、ズルズルと見入ってしまう。次の映像が気になってしまう。
多分それが寺山修司の言葉と映像センスの業なのでしょう。多才な寺山修司が監督し、三上寛が吠え、怪しい奇劇団がケラケラと嗤う。
作品のメインテーマは母殺し。
「現代の君がタイムスリップして三世代前のお婆さんを殺したとする。そうすると君はどうなる?」という友人の問いかけに悶々と考えあぐねる寺山修司自身。彼は少年期に、深い愛情を厳しさを持って傾ける母親を殺したいとさえ思った事があるのだった。
ところがいざ過去に戻ったところで母親を殺せない。それどころか過去は何も変えられず、今になっても母親と向き合ってご飯を食べていくしかない。
決して映画自体の心地は良くないはずのですが、時折流れる五七五七七の寺山修司の短歌とおどろおどろしい映像にじっとりと惹き込まれながら鑑賞しました。不思議な魅力があります。初見のためこれから反芻して深く見ていきたいと思いますが、こんなにも暗く沈められてしまう作品は貴重なので一度観たらできるだけ長く余韻に浸っていたい。
我が神様、若かりし頃の三上寛さん(クルクル頭がプリティ)のお叫びを書き起こしました。(正確ではないかもしれません)
「たかが人生。だまされたって、嘘ついたって、ぶっ飛ばしたって明日になりゃあ花一輪。てめえらそんなところで居座ってガタガタ批評してるけど、明日になりゃあくたばっちまうんだよ!」
んぬぁぁ、かっこよすぎるっ・・・。興奮して身体中の血が熱くなる。映画自体の素晴らしさはもちろんなのですが、三上寛信者の私には彼が出演しているというだけで充分に価値のある作品なのでした。
あーや

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