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Death Note/デスノートのTEPPEIのレビュー・感想・評価

Death Note/デスノート(2017年製作の映画)
2.0
Netflixのオリジナル映画としてようやくお疲労目された人気コミックを映画化したハリウッド版「デスノート」は元々はワーナー配給で劇場公開も予定され、まさに超話題作となるはずだったがイマイチ進行しない製作とブームが去ったのもありパッとしない様子だった。しかしマシ・オカ率いる日本代表がR指定として全く異なったコンセプトで展開すると意気込み、監督にはゴジラとキング・コングを控えるアダム・ヴィンガードが決定する。まあいつもながらこの監督お得意の残酷描写は入るとは踏んでいたが、何もあんなファイナル・デスティネーションしなくてもいいだろう。とういうか、まんまである。この死の描写に関しては監督らしいスタイリッシュでクールなアレンジがあるが、悪いアレンジが勝りすぎて正直引いた。日本版のデスノート映画は漫画にもある頭脳戦をメインに、キラとLの正義をそれぞれ上手く描いていたし、金子修介の古風な撮り方と何だかんだマッチしていた。ちなみに原作を読破している僕はLの死後は完全に蛇足だと思っているので、映画化においてはニア、メロは不要であると製作陣の気持ちは一致しているようだ。このハリウッド版はクールな演出も新たなコンセプトも十分素晴らしいとは思うが、デスノートをめぐるストーリーがことごとくつまらない。Lの片言日本語も、なんだここ状態の中途半端な東京の胡散臭い映像も、やけにルールが多いノートも全く不要。キャラクター変更は大いに結構、むしろキャストは総じて良い。ライトを演じたナット・ウルフは絶対ウケ狙いで叫んでる気もするが新生Lもあれはあれで人間臭くて嫌いではない。ようはデスノートをめぐるそれぞれの「正義」が、この映画には全く活かされていないのだ。ライトもLも別に天才じゃなくていいけど、思想がレベル低すぎて結局何がしたいのかよく分からない。こんなんじゃキラは崇拝されない。きっちりも今、この現代に、デスノートがあったら…というコンセプトを重宝しなくは物語は面白くなれない。アダム・ヴィンガードは映像も音楽もセンスは良いと思うし、「ザ・ゲスト」と「サプライズ」も非常によく出来た映画である。他の作品はまあ、アレだけど…。
総評として、このデスノートはホワイトウォッシュされている…というのはキャストではなく製作陣そのものを指している。上手く作用しないものが多く、部分的に惹かれるものがあってもこの映画はストーリーありきでなければ上質にはなれない。
「デスノート」は失敗作だという結論にしかなれない。アダム・ヴィンガードのゴジラとキング・コングって一体どうなるんだろうか。リュークのウィレム・デフォーはさすがですゴブリン。
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