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オッペンハイマーのTEPPEIのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
5.0
ご無沙汰しております。
最終レビュー投稿はなんと2022年12月。映画は引き続き沢山劇場で鑑賞しており、『哀れなるものたち』を観に行った時、戸田奈津子氏に遭遇して握手をしたエピソードとかレビューに混ぜたかったけども、実は結婚したり、論文投稿で忙しかったり、仕事も学校で国際関係学などを教えるようになって…中々レビューを書く暇がありませんでした。しかし、クリストファー・ノーラン監督作だけは絶対にレビューしないとという何とも形容し難い使命感にかられ、彼の親友ドゥニ・ヴィルヌーヴの『DUNE PART 2』のレビューを差し置いて、『オッペンハイマー』の評価を先にすることになった。

先日のアカデミー賞授賞式では主要部門含む7部門受賞という快挙で、特に作品賞、監督賞を手にしたクリストファー・ノーラン監督の活躍が際立っている。もはや彼が敬愛しているスタンリー・キューブリック監督を超えているのではないか。原爆の父と呼ばれたロバート・オッペンハイマーの苦悩の日々=オッペンハイマーの追体験を描いた本作は核兵器というシビアでブルータルなテーマのため、世界で唯一の原爆被爆国である日本での公開まで約1年を要した。大手配給会社が公開を避けてきたが、ビター・エンズが日本で公開することに意義があるとして日本公開が叶った。本国アメリカでも、ストリーミング戦略に失望し、ワーナーとのパートナーシップを終結させたノーランが新たにユニバーサルと契約を結んだ最初の作品だったことも注目された要素の一つである。

まずこれまでのノーラン監督のクオリティの高い作品群を鑑みても、本作『オッペンハイマー』が監督の最高傑作であることに異論はない。抜かりのない完璧な没入体験は恐ろしく、エモーショナルで、考えるのではなく感じることを狙い、それが上手く作用したまさに「忘れることができない傑作」になっているのである。『オッペンハイマー』は「マンハッタン計画」の原子爆弾開発の極秘プロジェクト、原爆投下、そして冷戦時代の幕開け前のオッペンハイマーの苦悩を描く。非常に興味深い点は、American Prometheusでも描かれるオッペンハイマーの「視点」が映画になっていることである。ちなみに鑑賞前に読むことを勧めておく。オッペンハイマーは物理学だけでなく文学の知識も豊富、翻って社会への関心はまるでなかった。1929年の大恐慌を知らなかったというエピソードもある。そんな彼が後に共産主義に関心を持つ理由や、冷戦の火種にもなる東西の資本主義VS社会主義の構造がバックにあり、もはやホラー映画に近い感覚に陥るオッペンハイマーの追い込まれる様子がIMAXの画面越しに伝わる。交差する人物たちの道徳心と探究心のぶつかり合い、どうして核兵器は生まれたのか、いや、生まれてしまったのか。戦争終結のため、大義名分のため、否科学の追求のためか。この作品はオッペンハイマーの心情変化を描くのが本当に素晴らしく、歴史を知る鑑賞者からすれば非常に辛い描写が多い。一歩間違えれば反米的、一歩間違えれば核兵器称賛、一歩間違えればメッセージ性のない中途半端なポリコレ要素を入れた作品になりかねない。しかしノーラン自身が「明確なメッセージは私から言えない」とするように、あくまでオッペンハイマーの追体験なのである。

ロスアラモスでの核実験シーンなど衝撃すぎて開いた口が塞がらない。核兵器の開発成功を喜ぶ科学者たち。被爆国の私たちからすると、その様子は狂っているし、怒りも感じるし、こんなものを描くなんてアメリカは未だに戦争の恐ろしさや被爆者について考えていない、と悲観的になる鑑賞者もいるだろう。けれど事実でしかない。オッペンハイマー含めて多くの科学者やアメリカ軍が、原爆が戦争を終わらせる、世界に均衡をもたらすと信じていたからだ。CGなしの核実験シーンは恐怖以外の何ものでもなかった。トラウマ級の緊張感は、没入体験という意味ではもはや過去にない映像体験だったのではないか。

主演を務め見事アカデミー賞主演男優賞を受賞したキリアン・マーフィの圧倒的な役作りと、実際にオッペンハイマー夫妻が住んでいた家で撮影に臨んだためか、これまでの出演作とは異なるリアリティと表情の変わり方が本当に恐ろしい。主演男優賞に相応しいと言える。助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・Jrもそのカメレオンぶりを発揮。特に「怒」の部分で言えばこれまでのキャリアで最も印象に残る演技だった。この二人以外にもまさに「豪華キャストの大渋滞」。そもそもオスカー俳優たちを堂々と脇役に配置しているあたり、絶対にノーラン監督じゃないとやらなそう。
ホイテ・ヴァン・ホイテマ、ルドウィグ・ゴランソンの『TENET』組が終結し、壮大で動きのある撮影、重厚感ある音楽ともにオスカーに相応しいものだった。この作品は細部まで、完膚なきまで叩くある意味でノーランの暴力的なこだわりが揃っている。それがリアリティであったり、史実であったりもするが、結局ノーラン自身が本作を「エンターテイメント」であると断言しているのである。
核兵器をテーマとして扱っている本作をエンタメ作品とするのに、抵抗感を覚える人もいるだろう。それでも、媚びへつらい観客の機嫌を伺う作品は必要ないのだ。「無くしていこう」と「無かったことにしよう」は全く違うことなのである。
本作におけるノーランの「問い」に関して観客は一生考えていくだろうし、そういう映画なのだと思う。
だから私はこの映画が大傑作だと思っている。ぜひまた劇場で、この没入体験をしたい。
クリストファー・ノーランの挑戦には、心からお礼を言いたい。
これからも映画を作り続けて欲しい。
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